開化意識

どのようなジャンルでも、一つのことを追求していくことで、感覚は変化します。
楽器をしている人なら音楽の聞こえ方が変わり、物を創っている人なら作品の見え方が変わります。
同じ音楽を聴いていても、同じ作品を見ていても、人によって受け取る深さは違います。

治療に関わる仕事では、自分の身体を観察することで、学びを深めます。
身体は、意識によって動作が導かれ、形作られています。
呼吸や体内の動きを意識することで、実体として見えない働きを認識し、コントロール出来るようになります。
より深く、より細やかに、意識が行き届き、そうした働きを最大限に活かせる身体を目指して稽古しています。

自分の身体の認識を深めていくことは、外の世界を広げることでもあります。
自分が認識できているところまで、相手の身体に意識が及びます。
同じ場所に触れていても、術者がどのように意識しているかで伝わり方が変わります。
皮膚を意識していれば皮膚に、筋肉を意識していれば筋肉に、中の経路を意識していれば中の経路に、反応が起こります。
点に集中していれば点に、全体に広げれば全体に、影響の及ぶ範囲が変わります。
その時の自分の身体の状態と、相手の身体に起きる変化は連動します。
そして、そうした感覚は多かれ少なかれ、触れている相手にも共有されます。
つまり、自分の意識が動作の質を変え、周りに影響を与えています。

音楽や作品に触れて、感動することがあります。
それは、生み出した方が込められた心に感応するからだと思います。
身体の認識を深め、お客様を良い方向に導けるように、稽古し続けていきたいと思っています。

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中先導

呼吸の働きで、身体が伸びたり、両手が引き分けられたりと言った動きが起こります。
呼吸が深いほどそうした力が高まるという印象から、余分な力を入れてしまっていたことに気付くことが出来ました。
外に表れる動きより、力まずに呼吸を全体に広げることの大切さを感じています。

呼吸による肚の圧の高まりが、下方は足へ、上方は頭頂や手に伝わります。
足先まで呼吸が入ると、足が締まって厚みが増し、地面と繋がります。
指先まで呼吸が届くと、手が寄って接点の弛みが取れます。
見た目には分からない程の動きであっても、それが在るか無いかで感覚に大きな違いが生まれます。
施術では、保息したまま軸も意識も細くしていくことで、バランスの変化に付いていきます。
余計なことをせずに流れに任せることが出来れば、全体が集約する一点に行き着きます。
足の置き方や手の当て方は、先まで呼吸が伝わるかどうかで自ずと決まります。
中央の変化を途切れずに追っていけば、軸が均等に細くなるに連れて身体は弛んで行きます。
呼吸が自然に動ける方向を知っており、あれこれ考えない方が上手く行くと言うことを実感しています。
呼吸は体性神経と自律神経に支配され、筋肉は錐体路と錐体外路で調節され、意識には顕在意識と潜在意識があります。
どれも「認識できている自分」と「認識できていない自分」の二面性があることを興味深く思います。
身体に任せる練習を積み重ねていくことで、もっと本来の働きを高めていけるのでは無いかと期待しています。

合気の稽古や施術など、集中が高まっているときに大きな感覚の変化が訪れることが多い気がします。
そうした機会を作ってくださる方々に心より感謝します。

木曽海道

船頭をしているのは?

覚醒異伝

眠る前の意識状態を観察していると、覚醒から急に睡眠に移行する訳では無く、段階があることが分かります。
目を瞑ってリラックスしていると、身体の外向きに高まっていた意識が、内側に切り替わるタイミングがあります。
その時、周りの音や香りを感じているのに、素通りしていくように知覚が下がります。
頭の中が静かになって、思考が聞こえやすくなります。
意図的に身体を動かしたり、外の物事に注意を向けると、そうした状態は途切れます。
流れに逆らわずにいると、頭蓋骨やまぶたの裏側の拘りが弛んでいきます。
そして、考え事をする声が小さくなり、いつの間にか眠っています。

心地良い施術を受けているときは、睡眠に傾く前の状態と同じように感じます。
触れられている感覚を受け入れているけど、理屈を考えるのが馬鹿らしくなります。
思考というフィルターに邪魔されずに通っていくからこそ、意識の深い部分に伝わるのでは無いかと思います。
起き上がると、頭が軽くなり、目がスッキリしています。
そして、身体のバランスが頭で考えて整えられるものでは無いことを実感します。

施術は、身体だけでなく意識のテンションも、その方に合わせて誘導できるようにしていく必要があることを感じています。
「張り詰めた空気」とか「場の雰囲気が和む」とかいった言葉は、一般的によく使われます。
私たちは、空間の状態を肌で感じ、それに応じて姿勢や意識を変化させています。
厳かな空間では、姿勢を正して気持ちを集中しています。
くつろげる場所では、身体を弛めてリラックスしています。
緊張した状態では本領を発揮できませんが、弛み切ってしまっては活動できません。
それらを両立するためには、表層の意識に切り替わらないほど、軸を細くして繊細に動けるようにしていく必要を感じています。
ピンと張った弦から柔らかい音が響くように、集中力を外ではなく内に高めた結果として、周りに影響が広がっていくようにイメージしています。
意識の緊張と弛緩のバランスを取っていけるように、稽古していきたいと思っています。

カエル

潜在一隅

最近、施術の時に、中心に付け続けることの大切さが分かってきました。
視線や身体の引き分けを通っていく先へ向けていても、意識を患者さんの呼吸の中心に置いておくように心掛けています。
呼吸の位置や大きさやリズムは、その時々によって様々です。
呼吸がよく伝わっている場所もあれば、あまり感じられない場所もあります。
一度に全身の状態を認識することは出来ませんが、中心の広がり方や集まり方から、全体のバランスを感じ取ることが出来ます。
中心が均等に広がっていくバランスに近付けると、同時に繋がって弛んでいく大きな流れが起こっていることを感じられます。

以前は、通っていくラインをイメージしたり、頚まで繋げることを意識していました。
その時点で私の余計な意図が入り、変化の幅を狭めてしまっていたことを感じます。
中心から起こる動きには、もっと多様性があることを感じています。
そうした働きに任せるためには、自分に中心があり、細やかな変化を受け取れる状態になっていなければならないことが分かります。
自分の深いところから触れることで、ご本人の深いところで起こっている潜在的な動きが顕在化するのではないかと思います。
中心の呼吸を邪魔しないように触れようとすれば、いかに繊細なタッチが必要であるかを感じます。
施術による介入が少ないほど、相手の自然の働きが活かされます。
具体的な因果関係は分からなくても、身体の内からの働きによってバランスが整ったり、症状が軽減したりします。
自分の肚の感覚を信頼するように、相手の肚の力を信じることで、自然に起こる結果に任せられ、気が楽になります。

中心を探求し、隅々まで意識を広げていくことで、もっとシンプルな施術を目指していきたいと思います。

川遊び

糸を架し

バランス☆運動療法を学び始めた頃は、K野先生がされている施術が多種多様に見えて、どこから手を付けて良いのか分からない時期がありました。
見様見真似で出来るところから取り入れていく内に、少しずつ学んでいることが繋がってきて、感触が変わっていきました。
そして、「技も治療も全部同じ」と言われているように、共通する部分を感じられるようになってきました。

相手のバランスが変化する場所に、緊張を引き出さないように、そっと触れます。
そこから、息を吸いながら身体を張って、自分と相手の緩みを取ります。
糸電話の糸をピンと張ると声が伝わるように、お互いの緩みが取れて初めて、身体の中で起こっている微細な情報をやり取りできます。
呼吸を吸い上げて軸を伸ばし、体幹を締めながら四肢を張り、自分の内部の撓みを取ります。
両手の並びが前後でも左右でも、全方向へ呼吸の広がりを伝えられると、両手の間には引き分ける働きが起こります。
右手と左手を立体的に引き分けて間の糸をピンと張ると同時に、その両側を繋がる位置に近付けます。
どちらに動けば相手の緩みが取れるかは、自分の丹田の反応で聞き分けます。
合気の技を掛けられたときに頚を取られる感覚を、頚を決めたまま丹田で受け取って判別します。
緩みが取れたら、お互いのテンションをキープしたまま、自分の身体を弛めて行きます。
軸を立てたまま弛めることで、流れが指先まで伝わり、そのまま相手に流れ込んでいくように力を通します。
手前で止まらないように意識を広げ、届いていく点のその先までイメージします。
こちらからの働き掛けに応じて、相手の身体にバランスを変えようとする反応が起こり、返答が返ってきます。
その行き先を邪魔しないように、自分を弛めたまま付いていきます。
中の経路が繋がると、身体の持つ働きが高まり、バランスが整います。
相手の内部の繋がりに働き掛けることは、自分の内部の繋がりによってのみ可能となります。

鍼などの道具を用いる場合、その緩みも含めて取る必要があります。
鍼を立てたところから、回旋や傾きによって、ピタッと合う角度に合わせます。
鍼の緩みが取れると、上肢尺側を通ってきた流れが、そのまま鍼体の下面へと繋がって相手に伝わって行きます。
そうした時、鍼を指よりも細く先まで届く、手の延長のように感じます。

相手によって、部位によって、状態によって、緩みの取り方が違っても、身体の操法は共通していることを感じています。
呼吸によってお互いの緩みが同時に取れる関係性は限られており、立ち位置や手の置き方も自ずと決まってくることが分かってきました。
剣術で、どこから攻められても反応できる身勢を稽古するのと同様、相手がどのような固まり方をされていても対応できるよう、常日頃から準備しておかなければならないことを実感します。
呼吸や体内操作や意念が統合されていくと、こうして長々と書いたことがもっとシンプルに出来るようになるのではないかと考えています。
触れる前から力が抜け、緩みが取れるように手が沿い、自然に繋がって弛んでいく身体を目指して、稽古に取り組んでいきたいと思います。

ターザンロープ

イン触れ

立った姿勢で自分の身体に目を向けてみると、動いていない時も完全に静止しているのではなく、微妙に揺れていることを感じられるかも知れません。
身体は、一点で停止することなく、常にセンターに近付くように微調整し続けることでバランスを取っています。

合気の技でも、相手との関わり合いの中で、センタリングできるかどうかが大切であることを学んでいます。
自分の軸を立てた姿勢で、接点を介して一体となるように、相手の都合をいったん受け入れます。
そこから、引くだけでも押すだけでもなく、中心を保ちながら全体のバランスを変えることで、相手と一致したまま動くことができます。
息を吸って呼吸が身体の隅々まで行き届くとき、息を吐いて集まってくる場所が中心です。
意識を身体の内にも外にも、中枢にも末梢にも広げ、呼吸と共に動くことで、全身の繋がった動きになります。

相手と一体になった状態で、相手の中心を崩せば合気の技になり、中心に導けばバランスを整える治療になります。
呼吸が深まり、中心の働きが高まるバランスへと相手を誘導する施術が、「バランス☆運動療法」です。
合気の原理を応用して、外に表れている症状ではなく中の繋がりに働き掛けます。
本来、誰の身体にもセンターに近付けようとする力が働いていますが、何らかの原因により滞っている場所があると、その働きが妨げられアンバランスが生じます。
いくら「力を抜いてください」と言われても、無意識で起きている緊張を、意識して抜くことは出来ません。
そのため、バランスを整えるためには、相手の緊張を引き出すことなく、身体の中を通して無意識に働き掛ける必要があります。
力が抜けるバランスへと呼吸で浮かせ、緊張や重力から解放することで、身体の変化する可能性を広げます。
いつものパターンと異なる姿勢や動作は、意識的に処理することが出来ず、無意識による反応が返ってきます。
そうして身体の持つ自然の力が働きやすい状態へ導くことによって、バランスが整い、症状が改善すると考えています。

「バランス☆運動療法」を行なっているときに、相手に触れるタッチが「センタリング・タッチ」になります。
相手と一体となるタッチができると、触れるだけでも中の繋がりを誘導できます。
触れることで、お互いの身体を一致させられると、呼吸や脱力も同調し、自分をセンタリングすることにより、相手の偏りも中心に戻っていくと考えます。
そうしたタッチを身に付けるためには、相手がどのような偏り方をしていても、それに応じて力を抜けるようにしておく必要があります。
人が変われば状況も変わり、一瞬も同じ時はありません。
いつも違う条件の元で、どれだけ繊細に同調できるかは、結局のところ自分に帰することになります。
つまり、「センタリング・タッチ」ができるということは、自分の心身がセンタリングできている状態と同義だと言えます。

「センタリング」と似たような意味として、「ホメオスタシス」という言葉がよく使われます。
日本語では「恒常性」と呼ばれ、血圧や体温といった、身体の内部の環境を一定の範囲内に維持する働きを指します。
「恒常性」という言葉には、身体がいつも同じ状態で保たれるのが正常だという印象がつきまといます。
西洋医学では、それに基づいて一定の基準が作られ、検査で基準値を外れた項目に対して、治療が進められます。
私は、一つの数値を取り上げて評価するのではなく、全体を含めた広い視野の元、ホメオスタシスの働きを観ていく必要があるのではないかと感じています。
血圧は、身体の活動や疲労の蓄積、精神状態、食生活で容易に上下します。
一日の間でも変動し、一ヶ月の間にも周期があり、季節によっても変わり、加齢と共に上昇する傾向があります。
その理由を、自律神経やホルモンのバランス、加齢に伴う硬化といったように、個別に説明することも出来ます。
けれども、身体に起こっている現象を細分化して診ていくことは、全体としての表れを見逃すことになりかねません。
それらを一言で表せば、自分や環境の変化に合わせて中央に近付けるようにセンタリングする、自然の働きではないかと考えます。
自分の心身も周囲の環境も変わり続けているため、中庸が常に同じ位置とは限りません。
それだけ生命は柔軟に多様に変化し得るという発想が、身体を診る上で大切なのではないかと思っています。

草木が風に揺れて立ち、石が川に流されて丸くなり、雪が日に照らされて解けていくように、自然は形を変えながら、全体の調和を保っています。
人も例外ではなく、周りの変化に応じて変わりながら生きていくことが自然であるように思います。
その時々の自分のバランスを愉しみながら、センタリングしていきたいと思っています。




長々とした文章になりましたが、頭の整理を兼ねて、現時点での私のセンタリング・メソッドに対する考えを纏めてみました。
今後、また印象が変われば、改めて書いてみたいと思っています。
それもセンタリングなのかも知れません。

川

芯・全体視

呼吸を観察していると、空気の出入りと同調して、全身の皮膚を同時に意識できるような感覚が得られることがあります。
そうした姿勢で内部に目を向けると、身体の中央を貫く芯のような感覚があることに気付きます。
芯を締めると外側への張りが生まれ、芯で気圧を上下すると腕や脚が動き、芯を回旋すると立て替えが起こります。
周りの骨や筋は、それに付いてバランスを変えたり、伸び縮みしているようなイメージを持っています。
身体のどこかに緊張や捻れがあると、そこで繋がりが途切れて、呼吸が伝わりにくくなります。
最近は、芯の操作だけで、身体を自由に動かせることを目標として稽古に取り組んでいます。

施術のときも、自分の姿勢を、呼吸で吸ったり吐いたりする動きが、全身に伝わるバランスを取れるよう心掛けています。
右手と左手それぞれから一体に近付くバランスで両手を張り、相手の全体を同時に意識できる姿勢に近付けます。
お互いが一体となった状態では、自分の中心の動きが、そのまま全体に反映されることを感じられます。

以前は、施術をするときに、特定の経絡を繋げようとする意識が強くありましたが、一体となる方向へずらすだけで反応が起こることを実感しています。
経絡には表裏があり、全体が平になるように近付くと、意識しなくても繋がっていくのではないかと考えています。
水がどんな形の容器にも納まるように、変化した形状に合わせる働きが起こり、身体のバランスが変わっていくことを感じます。
ほんのわずかなズレからでも、内側ではそれに応じた動きが起こって中央へ戻っていくことを実感します。
どこか一ヶ所で意識が止まった途端に、そうした感覚が無くなってしまうことを感じます。

一体全体、どうしてそうなるのかは分かりませんが、一つの体感から感覚が大きく変わることがあります。
患者さんとの一体感を大切に、施術に向き合っていきたいと思います。

飛行機雲

参照1:芯めとり
参照2:中心蔵
参照3:位置・軸

乗るウェイ

身体観の変化は、そのまま治療に反映されることを感じています。

私は、西洋医学の考え方が、医療系の学校で教わる以前から染み付いていたように思います。
消化器は食物の分解や栄養の吸収、呼吸器は酸素の取り込みや二酸化炭素の排出といったようにそれぞれの臓器に個別の役割があることを学びます。
運動器では、骨格は下の骨に上の骨が乗るように配列して身体を支え、筋が収縮することで骨が動いて関節に運動が起こり、物理学の法則に従って、それらが働いているイメージを持っていました。
けれども、観照塾や中心塾の稽古を通して、毎度それまでに抱いていた身体観とは異なる経験をさせて頂いています。
身体には自然に備わった働きや繋がりがあり、それによって医学的に説明するのが困難な現象にしばしば遭遇します。
現代医学で解明できていない部分があるというよりは、科学で説明できる一部だけを取り上げて医学が作られているのかも知れません。

東洋医学は、患者さんの全体を診るという点から、よく西洋医学と比較されます。
しかし、一言で「全身のバランスを整える」と言っても、経穴や経絡を知識として学ぶだけでは、結局は触れている場所だけに留まってしまうことを実感しています。
私は、鍼治療を始めた頃、患者さんの身体のあまりの広大さに途方に暮れそうになったことがあります。
経穴の位置を教科書から得た知識で探し出そうとすれば、例えば「外くるぶしの直下」という限られた範囲でさえ、鍼先を当てる点がいくらでも有るように感じます。
それに鍼の向きや深さなども加わると、同じ経穴を選んでも、刺入の方法は無数にあるとも思えます。

いまは、身体に対して、違った意味での広さを感じています。
身体はどこからでも繋がっており、どこからアプローチしても、それに応じた反応が起こることを感じています。
何度も通っている道は目的地まで迷わずに案内できるのと同様に、自分が体験した身体の繋がりは、相手の身体にも誘導できることを感じています。
そして、どの経穴を選ぶかというより、患者さんのアンバランスに対して、どの繋がりが効果的に働くかを診れるように心掛けています。
繋がって弛んでいく働きの中で、皮膚や筋の緊張が和らいだり、関節が合う位置に骨が動いたり、血管や神経の通りが改善したり、精神的にリラックスできたりします。
それらは個別に整えられるものではなく、心身に起こる反応と共に、同時に生じることを感じています。

そして、固まっている場所があっても、そこに拘らず動かせる場所から隙間を見つけられることを学ばせて頂きました。
例えば五十肩で肩が上がりにくい方も、上がらないというイメージを受けることなく、動きやすい場所から通り道を探していくことの大切さを感じます。
静止しているものを自力で動かそうとするより、転がっているものに合わせて動くほうが、楽に働き掛けることが出来ます。
横になって寝転んでいるときでさえ、全身が動いていることを感じられるようになってから、施術に取り組む心持ちがより軽くなりました。
そうした働きが起こりやすいような、環境を作ったり、ポジションを整えたりするだけで、後はいかに邪魔をしないことが大切かを感じています。

これからも、呼吸したり、身体を動かしたり、治療させて頂く中で、身体観を変え続けて行きたいと思います。

吊り橋

乗り潮

最近、治療をするときに患者さんの呼吸を感じながら施術することの大切さを実感しています。
呼吸の出入りに伴う動きを、ぼんやりと眺めたり、手から伝わってくる感覚を受け取ることで、治療に臨もうとする心持ちが和らぐことを感じます。
触れる前から軸を立てて手の力を抜けるように準備しておくことは、患者さんの呼吸がどちらに向かっても、それに付いていくことに繋がるように思います。
そして、その方の吸う息の伸びに合うように身体を張って緩みを取り、吐く息の深さに合うように弛めていくことを心掛けています。
我が入ると、張りの強さや動きのペースがずれて、お互いのリズムが合わなくなってしまうことを感じます。

呼吸が同調できているときは、何もしていなくても患者さんから吸い込みが掛かり、頂点で経路が変わって伸びてくる働きが起こることを体験します。
空気の出入りを伴う呼吸よりも、ゆっくりとしたペースで起こるこうした働きもまた、呼吸の表れであるように感じています。
一回一回の呼吸を、砂浜に寄せて返す波だとすると、深い場所で起こっている呼吸は、海の中の潮の流れのようにイメージしています。
そして、外に表れている呼吸と、深部で生じている呼吸は、お互いに関連し合っていることを感じます。
楽に呼吸ができる姿勢にあると内部の動きが現れ、内部が動き始めると呼吸が広がりやすくなるように変わっていきます。
自分が力を抜いて、その揺らぎに付いていくことが出来ると、自然に緊張が弛み、繋がりが改善するバランスに導かれることを感じています。

自分の身体で発見したことが施術に活かされるだけでなく、治療によって患者さんから体験させて頂いたことが、自分の身体を見直すキッカケとなることがよくあります。
自分の深いところではどのような変化が起こっているのか、呼吸を見詰めなおして行きたいと思っています。

明石海峡

中心蔵

最近、「自然」と「不自然」の違いについて考えることがあります。
同じ種類の植物でも、形はそれぞれで異なっていますが、自然そのままの姿は、そのどれもが自然に見えます。
それは、「形」からではなく、自身や周りの環境に逆らわない「働き」によって起こるからではないかと考えたりします。
そして、自分自身を省みると、色々な事象に逆らって、不自然になってしまっていることを感じます。
重力に逆らって持ち上げていたり、思ったことと違うことをしていたり、余計なところで思考したりと、様々な無理を掛けていることを考えたりします。

呼吸を観察していると、空気の出入りと同調して、身体の内部を締める力や弛める力が働いていることを感じます。
中央へ向かって締める力を全方向から均等に高めていくと、中心に伸びが起こり、軸の感覚が生まれることを感じられます。
その感覚は、必ずしも直線だけではなく、脊柱全体の湾曲や骨盤の回旋によって、曲線になったり螺旋になったりします。
その軸を保ったまま動作をするためには、一方向ではなく、相対する方向へ力の流れを行き来させることの大切さを感じています。
体幹の中央を下肢の内側と繋げて、一側は上向きに、他側は下向きに伸ばすと、身体を左右に回旋する力が生じます。
左右の経路を同時に伸ばし、身体の前面と後面で反対方向に行き来させると、前後に傾ける動きが生まれます。
それらの働きを立体的に組み合わせることで、どの方向に丹田を回しても、体幹の軸を保ったまま四肢の動きを連動して伝えられることを感じています。
そうして感じている場所が、解剖学上では何に当たるのかは分かりませんが、「形」としてではなく、生きている身体にしか存在しない「働き」というものあるのではないかと考えています。
骨や筋といった物理的な組織ではなく、軸の感覚に任せておくことで、周りの力を抜いていけることを感じています。

自分の身体のバランスをみるとき、どこかを動かして変えようとすることがよくありましたが、脱力によって起こる変化の大きさを感じています。
持っているものや、置いているところに手が沿えば、自然に手首が決まっていることを感じる機会がありました。
足は、立っていると床からの力を受け、坂道では地面の傾斜に合わせ、施術ベッドに片膝を乗せると足の重みで下肢後面が伸びたりと、そのときの状況によって繋がる角度に落ち着くことを感じています。
また、頭の重みに合わせて後頚部の力を抜くと、顎を引く方向にバランスが傾き、首の後ろが伸びていることを体験しました。
手を落とせると肋骨が上がり、頭を落とせると背骨が伸び、脱力して重みを下方へ下ろした分だけ、浮いてくる力が生まれることを感じています。
その状態で、如何に上肢の力を抜いたまま手を動かすかということを目標に、動作を観察しています。

そうした働きに目を向け、自身が脱力できているときには、鍼先の力も抜けて、施術によって導かれる身体の変化が、以前よりも繊細に感じられるようになってきました。
表裏の経絡が平になるポジションと、相手の中心に軸が生まれる肢位は一致し、その感覚が消えないように付けておくことの大切さを感じています。
これまでは入れた状態から弛んでくるまでを待つように意識していましたが、変化したバランスによる重みを丹田で受けて待っているだけで、受動的に入っていく感覚を得られるようになりました。
その時々で、入っていく深さや弛んでいく長さは変わり、自分の吸気の臨界と呼気の臨界をそれぞれ合わせられると、身体の向かう方向と呼吸の切り替わるタイミングが一致していることを感じられます。
身体に備わった働きを高めるという視点から治療をみると、どのような症状であっても、方針がぶれたり、手技を使い分けたりする必要なく、施術を行なえることを実感しています。

日々の中で、意識しながら身体の使い方を変え、意識しなくても呼吸と統合して行なえるようになったときに初めて、身に付くのではないかと考えています。
それは、意識を変えることで、心身の働きが高まる方向へ自分を誘導することと同じなのかも知れません。
呼吸の力を自然に活かせる身体に近付けるよう、誘導を積み重ねていきたいと思っています。

ススキ

進入シャイン

ずいぶんと日差しが強い日が増え、夏が近付いてきたことを感じられます。
天日に干しておいた布団で眠るのはたいへん心地良く、太陽の光から与えられるエネルギーのありがたさを実感できます。
私は、一年の中で、春が最も季節の移ろいに伴う変化を感じます。
気候の変化は勿論ですが、それに伴って、風景や、食物や、体調や、気分や、物事も移り変わっていきます。

東洋医学において、身体の光の当たりやすい部分を通る経絡が陽経、当たりにくい部分を通る経絡が陰経とされ、それぞれの働きが示唆されています。
身体の内外で陰陽を考えると、身体の外表が陽で、外からは見えない内面が陰となります。
身体の内部は、直接には光が届きませんが、空気や水や食物を通して外界との交流が行われています。

呼吸によって、自分自身の内部を照らすことで、見えない部分の状態を意識の上に映し出すことが出来ます。
私は、全身の中のいずれかの点を意識し、そこを吸息によって膨らませたり、反対に外側から内側に向けて伝えたりして遊ぶことがあります。
移動させた空気から伝わる圧力によって、そこに存在する臓器の位置や形状や硬軟を捉えられることを感じています。
また、引き寄せた側と反対側の身体の実感が増し、表裏の関係性を感じやすくなるように思います。

吸息と共に丹田の実感が高まる姿勢で、一つ一つの脊椎を押したり引いたりしながら、それ以外の部位に生じる変化を観察していると、色々と面白い発見があります。
同じ高さの骨や臓器への影響を感じることもあれば、離れた頭顔面部や四肢の特定の部位に反応が現れることもあります。
患者さんの脊柱のどこが固まっているかで、その方が普段されている動作が推察され、そうした脊柱の状態と、様々な愁訴との関連を感じることがあります。
脊柱がどのようなカーブを描いているかで、腹側の光の当たり方も変化します。
胸腔や腹腔の動きが妨げられる姿勢にあると、呼吸がしにくくなったり、消化の機能が落ちたりと、内臓の働きにも影響を及ぼします。
また、脊柱が固くなり、上肢が内側に巻いたり、下肢が外側に開いたりすると、本来、隠れる位置にある経路が外見上に現れてしまうことがあります。
当たるべき部分に光が当たり、隠れるべき部分が影になると、身体の働きのみならず、見た目の姿勢も美しくなり、表情も明るく感じられます。

自分自身や身の回りで起こっている様々な変化を感じ取ることを大切にしながら、臨床に向き合っていきたいと思っています。

鯉のぼり

芯めとり

私は、子供の頃、自分用の手鏡をいくつか持っていました。
自分の顔を見るために使うことは滅多に無く、角度を変えて覗き込んだり、二枚を向き合わせたり、光を反射させたりと、鏡の特徴を楽しみながら色々と遊んでいました。
鏡を見ながら、なぜ上下はそのままで、左右が反対に映って見えるのかを不思議に思っていた時期があります。
いま考えてみれば、映っている対象の左右が逆になっている訳ではなく、鏡面を対称面として、前後が入れ替わっていると言うことが理解できます。

鏡に映った自分と写真に写った自分が同じでないことからも分かるように、身体は完全な左右対称ではありません。
普段行なっている振る舞いにおいて偏りが強い場合には、より著明な左右差が生じることもあります。
さらに、内臓においては、左右の肺の大きさから、心臓の位置や形から、胃腸の走行に至るまで、対称な部分はほとんど見当たりません。
けれども、私達は、得手不得手こそあれ、それほど左右の差と言うことを意識していなくても、様々な動作を行なえています。
一芸に秀でた方々の身のこなしを拝見する中で、あるいは自分自身の動きを見直しながら、身体における対称性と非対称性が、どのようにして両立されているのかという疑問が、以前から頭の片隅にありました。

身体の正中に目を向けてみると、背部には脊柱が通り、その前方を咽喉が走っています。
体幹の中央を通る経路を感じながら呼吸をするとき、あたかも咽喉へと通じる筒が腹部から繋がっているような感覚を覚えます。
それを全方向に均等に締められる姿勢では、吸い上げと共に前後への揺れが生じ、呼気時には頭部まで浮かせた重みが下っていく様子が観察できます。
そうした意識と呼吸が同調して働く通り道は、正中のみならず側方にも存在し、股関節や上肢帯の動きとも密接な関連があることを感じられます。
それらの力の伝わりが左右で一致するように近付けていくことで、両側のバランスを整ってくることを実感できます。
また、その内のいずれかの軸を基準として身勢を取ることで、角度が変化しても、意識や力の向かう方向を合わせていけることを感じています。

仮に、身体が左右対称であれば、釣り合う位置は一点しかありませんが、そうした軸の働きによって、身体の内部も良い位置に納まり、全身のバランスを取り続けられるのではないかと考えています。
腹診を行なうと、腹部の形状や柔らかさや温度や質感にはバラつきがあり、それらが整う方向に向かうと身体の症状が改善することを経験します。
施術を行なう上で、そうした軸が通る位置に導いていくと言うことと、繋がる方向を辿っていくと言うことが、同義であることが分かってきました。
誘導する向きによって、中央に集まる方向と離れる方向があり、集まった状態が途切れないように導いていけると、姿勢も変化していくことを感じています。
鏡に映らない場所にも目を移しながら、身体の観察を深めていきたいと思います。

元伊勢内宮

知覚変動

継続して物事に取り組むとき、変えようとして変わるだけではなく、気付いたら変わっていたということを、しばしば経験します。
その変化を通り過ぎてしまうのではなく、出来る限り認識していくことが、前に進んでいくためには重要では無いかと考えています。
最近、鍼治療を行なっているときの感覚も、少しずつ変わっていることを感じています。

視診や切診は、診断と言うよりは、現状の把握と施術前後の変化を確認するために行ない、全体としてのバランスを診ることを意識しています。
それから、どの経絡あるいは経穴が強まっているか弱まっているかを診て、それらが改善することを意識して施術を行なっています。
四診によって先に証を立てていた頃は、それに従って刺鍼する経穴を決めていましたが、接触鍼を行なう度に現状が変化していることを感じられるようになり、その都度、気になった経穴を選ぶようにしています。
また、経絡や経穴も目安として、定まったラインや位置には拘らないようにしています。

刺鍼を行なう際は、接点から伝わる感覚や、自分自身の内部で起こっている変化を受け取りながら、目線は全体に置いておくことで、視野を広げられることを感じています。
以前は、鍼先から先へ向かう方向へ意識が傾いていましたが、鍼先部から後方への繋がりまで意識しながら行なうことの大切さが分かってきました。
刺鍼の方向は、立ち位置あるいは鍼先の向きを変えることで、自分自身の背骨が立ち、丹田に重みが感じられる側を選んでいます。
骨盤が前後に傾く締めによって刺入し、左右に剪断する動きによって、重みが増す方向へ鍼先を回旋させています。
そこから、体幹の動きによって、左手と右手のバランスを取り続け、より掛かるほうへと辿っていくことで、患者さんの身体を繋げていけることを感じています。
自分自身の掛かり方に比例して、鍼の先の充実感が増し、それが弛み始め、逆向きの流れが鍼穴を通り過ぎる瞬間に抜鍼するようにしています。
鍼先の重みが弛みにくい場合は、鍼の先を、繋がりが途切れない方向に回旋や雀啄をして抜くようにしています。
重みの感触は症状によって様々で、それによって、鍼の動かし方を変えていくことの必要性が分かってきました。
また、働きかけたい経路へ繋げていくためには、選んだ経穴によって、鍼先の傾きや刺鍼の深さを調整することの重要性を感じています。

そうした刺鍼の技術の向上と共に、より的確な選穴が出来るようになれば、もっと治療効果を上げられるのではないかと考えています。
治療家の先生方が書かれた文章の中に、驚くほど繊細な感性をもって、身体を観察されている内容をみることがあります。
そのような深い感覚を自得し、より良い治療を行なえるようになるため、日々精進していきたいと考えています。

北原

考察レポート04

考察レポート03で述べた内容を、引き続き考えてみます。

四肢の横断面において、身体の正中に近い側が内側、遠い側が外側として、それぞれ三本ずつの経路が通っているとします。
そうすると、四肢から体幹へはどういった経路で繋がり、体幹における内外はどのように捉えられるかというテーマが生じます。
そこで、体幹を左右二本の柔らかい円柱として仮想してみると、それらのお互いに近い側が内側、遠い側が外側であることがイメージできます。
そして、下肢あるいは上肢の内側を通っている経路が、いずれも体幹の中心に集まり、腹部で連絡している様子を想像することが出来ます。

円柱

逆に言えば、体幹の中心から動きが起こると、その力は身体内部を伝わり、全身に広がると考えることが出来ます。
考察レポート02で述べたように、体幹の内部の動きには呼吸が重要な役割を果たしています。
呼吸は、随意的にも不随意的にも行なわれる活動で、運動系と内臓系のいずれの働きにも深く関与します。
下肢内側の前寄り、中央、後寄りを上がる経路を意識して呼吸を通すと、外側を走る三本の経路がそれぞれ対応して働いていることを感じられます。
上肢にも同様の対応が見られ、向かう方向は一方だけでなく、上方と下方といったように、バランスを取り合って行なわれていることが分かります。
骨やそれを動かす筋による物理的な支えの背景には、そうした機能的な繋がりがあり、それらが三次元的に釣り合うことで、身体全体のバランスが保たれていると考えられます。
そして、あらゆる運動は、その釣り合いの移り変わりによって行なわれていると考えることが出来ます。

私は、そうした身体の繋がりは、骨や筋を始めとする運動系の働きのみを指すものでは無いと考えています。
治療を行なっていると、下肢の施術によって腹部の症状が改善した、上肢の施術によって歯の痛みが軽減した、といった感想を頂くことが、しばしばあります。
外見上に表れる姿勢や動作は、呼吸だけでなく、心臓や血管の拍動、神経の活動、意識の働き、感情の動きといった心身で起こっているあらゆる変化の一側面であると診ることが出来ます。
それらの身体内部の変化は、無秩序に起こっている訳ではなく、それぞれが関連し合い協調して行われることで生命活動が維持されています。
そして、その関係性が崩れた状態が、心身の不調として、何らかの形で現れると考えられます。
したがって、その結び付きに関与する、いずれの方面からアプローチしても、繋がりが改善する方向に向かえば、健康な状態に近付けられると考えます。

私達の身体には、刻一刻と変化する中で、バランスを取っていくための力が備わっています。
身体の不調を治療する上で、変化を止めようとしたり、逆行させるような考え方を目にすることがありますが、私は、身体に起こる変化が適切に行なわれるように補助していくことが、治療において重要であると考えています。
それは、症状が何であっても、年齢がいくつであっても、良い方向に変わっていく可能性があることを意味します。
そうしたお手伝いが出来るよう、身体の繋がりに関する観察を深め、治療の技術を高めていきたいと考えています。

考察レポート03

「全身のバランス」や「身体の連動」といった言葉を用いることがありますが、それらをどのように表わせるかを考えてみます。
伸筋群・屈筋群といった解剖学上の分類は、末梢の関節の動く方向を基準として決められているため、上肢と下肢あるいは体幹と下肢の動作において整合性が取れず、全身に渡る運動を表すのに適しているとは言えません。
そこで、東洋医学の経絡のイメージを簡略化して取り入れてみます。
身体を横断面で考えてみると、ほとんどの部位が円形に近い形となることが想像されます。
円形のままでは基準を設けにくいため、それに内接する六角形を想定します。
あらゆる高さでその接点が繋がっているとすれば、身体前面に3本、後面に3本の経路が現れ、それぞれの内側、中央、外側を通っていることがイメージ出来ます。
必ずしも、通っている深さは皮膚面上では無く、また、流れている方向も長軸方向のみとは限りません。
六角形
上肢にも下肢にも、左右それぞれ六本ずつの繋がりがあるとすると、それぞれの働きを充分に活かせている状況が、バランスが取れた状態であると言えます。
身体のいずれかの部位に痛みが生じている場合は、そうしたバランスが崩れている可能性が考えられます。
例えば、身体の左側に重心が寄った姿勢が続けば、他の経路に比べて左下肢の外側の負担が大きくなっていることが想像されます。
あるいは、右手の親指を酷使する作業が多ければ、右上肢の外側の経路に疲労が溜まることが予想されます。
そうした偏りが積み重なると、その経路の緊張が高まり、結果として痛みが生じることがあります。
何らかの治療を施して痛みが改善したとしても、それまでと同じ身体の使い方をしていると、同様の症状が起こる可能性があり、根本的な解決にはなりません。
また、痛みが出ないように反対側で同様の使い方をしたり、筋力不足が原因だと考えトレーニングで鍛えたりすることは、偏りを助長してしまう可能性もあります。
したがって、治療を施す上で、痛みの生じている経路の緊張を弛めると共に、上手く働いていない経路を活かしていくことが大切になります。

私達は日常生活を送る中で、知らず知らずの内に、表層の筋あるいは目的とするものに近い部位を使って用件を済ましてしまう傾向にあります。
物を取ろうとして手を伸ばしたり、階段を登ろうとして大腿を持ち上げたり、振り向こうとして首を回したりといった普段何気なく行なっている動作が、しばしば偏りの原因となってしまっていることがあります。
それらの行動は、どこから動きが起こっているか、どの経路を通って行なわれているかによって、全く質の異なったものとなります。
身体後面や外側を通る経絡は、いずれも長い過程を辿って身体を巡ります。
筋を縮めることで関節を動かすのではなく、それらの経路の伸びる方向を辿ることで、表裏のバランスが取れ繋がった動作が可能となります。
また、体幹から上肢あるいは下肢に付着する深層筋の走行を見ると、いずれも四肢の内側に停止していることが分かります。
六本の経路が、頭部もしくは体幹から四肢の先端まで続いているとすると、指の本数よりも一本多いことになります。
経絡図では、小指や母趾に二本の経絡が走行し、身体の内側を通る繋がりの働きが示唆されています。

身体の持つ働きを充分に活かせるように、治療と共に、姿勢や動作のアドバイスを大切にしていきたいと考えています。

<参考文献>
『経絡経穴概論』 編者:東洋療法学校協会 発行所:医道の日本社

 

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