芯・全体視

呼吸を観察していると、空気の出入りと同調して、全身の皮膚を同時に意識できるような感覚が得られることがあります。
そうした姿勢で内部に目を向けると、身体の中央を貫く芯のような感覚があることに気付きます。
芯を締めると外側への張りが生まれ、芯で気圧を上下すると腕や脚が動き、芯を回旋すると立て替えが起こります。
周りの骨や筋は、それに付いてバランスを変えたり、伸び縮みしているようなイメージを持っています。
身体のどこかに緊張や捻れがあると、そこで繋がりが途切れて、呼吸が伝わりにくくなります。
最近は、芯の操作だけで、身体を自由に動かせることを目標として稽古に取り組んでいます。

施術のときも、自分の姿勢を、呼吸で吸ったり吐いたりする動きが、全身に伝わるバランスを取れるよう心掛けています。
右手と左手それぞれから一体に近付くバランスで両手を張り、相手の全体を同時に意識できる姿勢に近付けます。
お互いが一体となった状態では、自分の中心の動きが、そのまま全体に反映されることを感じられます。

以前は、施術をするときに、特定の経絡を繋げようとする意識が強くありましたが、一体となる方向へずらすだけで反応が起こることを実感しています。
経絡には表裏があり、全体が平になるように近付くと、意識しなくても繋がっていくのではないかと考えています。
水がどんな形の容器にも納まるように、変化した形状に合わせる働きが起こり、身体のバランスが変わっていくことを感じます。
ほんのわずかなズレからでも、内側ではそれに応じた動きが起こって中央へ戻っていくことを実感します。
どこか一ヶ所で意識が止まった途端に、そうした感覚が無くなってしまうことを感じます。

一体全体、どうしてそうなるのかは分かりませんが、一つの体感から感覚が大きく変わることがあります。
患者さんとの一体感を大切に、施術に向き合っていきたいと思います。

飛行機雲

参照1:芯めとり
参照2:中心蔵
参照3:位置・軸

乗るウェイ

身体観の変化は、そのまま治療に反映されることを感じています。

私は、西洋医学の考え方が、医療系の学校で教わる以前から染み付いていたように思います。
消化器は食物の分解や栄養の吸収、呼吸器は酸素の取り込みや二酸化炭素の排出といったようにそれぞれの臓器に個別の役割があることを学びます。
運動器では、骨格は下の骨に上の骨が乗るように配列して身体を支え、筋が収縮することで骨が動いて関節に運動が起こり、物理学の法則に従って、それらが働いているイメージを持っていました。
けれども、観照塾や中心塾の稽古を通して、毎度それまでに抱いていた身体観とは異なる経験をさせて頂いています。
身体には自然に備わった働きや繋がりがあり、それによって医学的に説明するのが困難な現象にしばしば遭遇します。
現代医学で解明できていない部分があるというよりは、科学で説明できる一部だけを取り上げて医学が作られているのかも知れません。

東洋医学は、患者さんの全体を診るという点から、よく西洋医学と比較されます。
しかし、一言で「全身のバランスを整える」と言っても、経穴や経絡を知識として学ぶだけでは、結局は触れている場所だけに留まってしまうことを実感しています。
私は、鍼治療を始めた頃、患者さんの身体のあまりの広大さに途方に暮れそうになったことがあります。
経穴の位置を教科書から得た知識で探し出そうとすれば、例えば「外くるぶしの直下」という限られた範囲でさえ、鍼先を当てる点がいくらでも有るように感じます。
それに鍼の向きや深さなども加わると、同じ経穴を選んでも、刺入の方法は無数にあるとも思えます。

いまは、身体に対して、違った意味での広さを感じています。
身体はどこからでも繋がっており、どこからアプローチしても、それに応じた反応が起こることを感じています。
何度も通っている道は目的地まで迷わずに案内できるのと同様に、自分が体験した身体の繋がりは、相手の身体にも誘導できることを感じています。
そして、どの経穴を選ぶかというより、患者さんのアンバランスに対して、どの繋がりが効果的に働くかを診れるように心掛けています。
繋がって弛んでいく働きの中で、皮膚や筋の緊張が和らいだり、関節が合う位置に骨が動いたり、血管や神経の通りが改善したり、精神的にリラックスできたりします。
それらは個別に整えられるものではなく、心身に起こる反応と共に、同時に生じることを感じています。

そして、固まっている場所があっても、そこに拘らず動かせる場所から隙間を見つけられることを学ばせて頂きました。
例えば五十肩で肩が上がりにくい方も、上がらないというイメージを受けることなく、動きやすい場所から通り道を探していくことの大切さを感じます。
静止しているものを自力で動かそうとするより、転がっているものに合わせて動くほうが、楽に働き掛けることが出来ます。
横になって寝転んでいるときでさえ、全身が動いていることを感じられるようになってから、施術に取り組む心持ちがより軽くなりました。
そうした働きが起こりやすいような、環境を作ったり、ポジションを整えたりするだけで、後はいかに邪魔をしないことが大切かを感じています。

これからも、呼吸したり、身体を動かしたり、治療させて頂く中で、身体観を変え続けて行きたいと思います。

吊り橋

乗り潮

最近、治療をするときに患者さんの呼吸を感じながら施術することの大切さを実感しています。
呼吸の出入りに伴う動きを、ぼんやりと眺めたり、手から伝わってくる感覚を受け取ることで、治療に臨もうとする心持ちが和らぐことを感じます。
触れる前から軸を立てて手の力を抜けるように準備しておくことは、患者さんの呼吸がどちらに向かっても、それに付いていくことに繋がるように思います。
そして、その方の吸う息の伸びに合うように身体を張って緩みを取り、吐く息の深さに合うように弛めていくことを心掛けています。
我が入ると、張りの強さや動きのペースがずれて、お互いのリズムが合わなくなってしまうことを感じます。

呼吸が同調できているときは、何もしていなくても患者さんから吸い込みが掛かり、頂点で経路が変わって伸びてくる働きが起こることを体験します。
空気の出入りを伴う呼吸よりも、ゆっくりとしたペースで起こるこうした働きもまた、呼吸の表れであるように感じています。
一回一回の呼吸を、砂浜に寄せて返す波だとすると、深い場所で起こっている呼吸は、海の中の潮の流れのようにイメージしています。
そして、外に表れている呼吸と、深部で生じている呼吸は、お互いに関連し合っていることを感じます。
楽に呼吸ができる姿勢にあると内部の動きが現れ、内部が動き始めると呼吸が広がりやすくなるように変わっていきます。
自分が力を抜いて、その揺らぎに付いていくことが出来ると、自然に緊張が弛み、繋がりが改善するバランスに導かれることを感じています。

自分の身体で発見したことが施術に活かされるだけでなく、治療によって患者さんから体験させて頂いたことが、自分の身体を見直すキッカケとなることがよくあります。
自分の深いところではどのような変化が起こっているのか、呼吸を見詰めなおして行きたいと思っています。

明石海峡

中心蔵

最近、「自然」と「不自然」の違いについて考えることがあります。
同じ種類の植物でも、形はそれぞれで異なっていますが、自然そのままの姿は、そのどれもが自然に見えます。
それは、「形」からではなく、自身や周りの環境に逆らわない「働き」によって起こるからではないかと考えたりします。
そして、自分自身を省みると、色々な事象に逆らって、不自然になってしまっていることを感じます。
重力に逆らって持ち上げていたり、思ったことと違うことをしていたり、余計なところで思考したりと、様々な無理を掛けていることを考えたりします。

呼吸を観察していると、空気の出入りと同調して、身体の内部を締める力や弛める力が働いていることを感じます。
中央へ向かって締める力を全方向から均等に高めていくと、中心に伸びが起こり、軸の感覚が生まれることを感じられます。
その感覚は、必ずしも直線だけではなく、脊柱全体の湾曲や骨盤の回旋によって、曲線になったり螺旋になったりします。
その軸を保ったまま動作をするためには、一方向ではなく、相対する方向へ力の流れを行き来させることの大切さを感じています。
体幹の中央を下肢の内側と繋げて、一側は上向きに、他側は下向きに伸ばすと、身体を左右に回旋する力が生じます。
左右の経路を同時に伸ばし、身体の前面と後面で反対方向に行き来させると、前後に傾ける動きが生まれます。
それらの働きを立体的に組み合わせることで、どの方向に丹田を回しても、体幹の軸を保ったまま四肢の動きを連動して伝えられることを感じています。
そうして感じている場所が、解剖学上では何に当たるのかは分かりませんが、「形」としてではなく、生きている身体にしか存在しない「働き」というものあるのではないかと考えています。
骨や筋といった物理的な組織ではなく、軸の感覚に任せておくことで、周りの力を抜いていけることを感じています。

自分の身体のバランスをみるとき、どこかを動かして変えようとすることがよくありましたが、脱力によって起こる変化の大きさを感じています。
持っているものや、置いているところに手が沿えば、自然に手首が決まっていることを感じる機会がありました。
足は、立っていると床からの力を受け、坂道では地面の傾斜に合わせ、施術ベッドに片膝を乗せると足の重みで下肢後面が伸びたりと、そのときの状況によって繋がる角度に落ち着くことを感じています。
また、頭の重みに合わせて後頚部の力を抜くと、顎を引く方向にバランスが傾き、首の後ろが伸びていることを体験しました。
手を落とせると肋骨が上がり、頭を落とせると背骨が伸び、脱力して重みを下方へ下ろした分だけ、浮いてくる力が生まれることを感じています。
その状態で、如何に上肢の力を抜いたまま手を動かすかということを目標に、動作を観察しています。

そうした働きに目を向け、自身が脱力できているときには、鍼先の力も抜けて、施術によって導かれる身体の変化が、以前よりも繊細に感じられるようになってきました。
表裏の経絡が平になるポジションと、相手の中心に軸が生まれる肢位は一致し、その感覚が消えないように付けておくことの大切さを感じています。
これまでは入れた状態から弛んでくるまでを待つように意識していましたが、変化したバランスによる重みを丹田で受けて待っているだけで、受動的に入っていく感覚を得られるようになりました。
その時々で、入っていく深さや弛んでいく長さは変わり、自分の吸気の臨界と呼気の臨界をそれぞれ合わせられると、身体の向かう方向と呼吸の切り替わるタイミングが一致していることを感じられます。
身体に備わった働きを高めるという視点から治療をみると、どのような症状であっても、方針がぶれたり、手技を使い分けたりする必要なく、施術を行なえることを実感しています。

日々の中で、意識しながら身体の使い方を変え、意識しなくても呼吸と統合して行なえるようになったときに初めて、身に付くのではないかと考えています。
それは、意識を変えることで、心身の働きが高まる方向へ自分を誘導することと同じなのかも知れません。
呼吸の力を自然に活かせる身体に近付けるよう、誘導を積み重ねていきたいと思っています。

ススキ

進入シャイン

ずいぶんと日差しが強い日が増え、夏が近付いてきたことを感じられます。
天日に干しておいた布団で眠るのはたいへん心地良く、太陽の光から与えられるエネルギーのありがたさを実感できます。
私は、一年の中で、春が最も季節の移ろいに伴う変化を感じます。
気候の変化は勿論ですが、それに伴って、風景や、食物や、体調や、気分や、物事も移り変わっていきます。

東洋医学において、身体の光の当たりやすい部分を通る経絡が陽経、当たりにくい部分を通る経絡が陰経とされ、それぞれの働きが示唆されています。
身体の内外で陰陽を考えると、身体の外表が陽で、外からは見えない内面が陰となります。
身体の内部は、直接には光が届きませんが、空気や水や食物を通して外界との交流が行われています。

呼吸によって、自分自身の内部を照らすことで、見えない部分の状態を意識の上に映し出すことが出来ます。
私は、全身の中のいずれかの点を意識し、そこを吸息によって膨らませたり、反対に外側から内側に向けて伝えたりして遊ぶことがあります。
移動させた空気から伝わる圧力によって、そこに存在する臓器の位置や形状や硬軟を捉えられることを感じています。
また、引き寄せた側と反対側の身体の実感が増し、表裏の関係性を感じやすくなるように思います。

吸息と共に丹田の実感が高まる姿勢で、一つ一つの脊椎を押したり引いたりしながら、それ以外の部位に生じる変化を観察していると、色々と面白い発見があります。
同じ高さの骨や臓器への影響を感じることもあれば、離れた頭顔面部や四肢の特定の部位に反応が現れることもあります。
患者さんの脊柱のどこが固まっているかで、その方が普段されている動作が推察され、そうした脊柱の状態と、様々な愁訴との関連を感じることがあります。
脊柱がどのようなカーブを描いているかで、腹側の光の当たり方も変化します。
胸腔や腹腔の動きが妨げられる姿勢にあると、呼吸がしにくくなったり、消化の機能が落ちたりと、内臓の働きにも影響を及ぼします。
また、脊柱が固くなり、上肢が内側に巻いたり、下肢が外側に開いたりすると、本来、隠れる位置にある経路が外見上に現れてしまうことがあります。
当たるべき部分に光が当たり、隠れるべき部分が影になると、身体の働きのみならず、見た目の姿勢も美しくなり、表情も明るく感じられます。

自分自身や身の回りで起こっている様々な変化を感じ取ることを大切にしながら、臨床に向き合っていきたいと思っています。

鯉のぼり

芯めとり

私は、子供の頃、自分用の手鏡をいくつか持っていました。
自分の顔を見るために使うことは滅多に無く、角度を変えて覗き込んだり、二枚を向き合わせたり、光を反射させたりと、鏡の特徴を楽しみながら色々と遊んでいました。
鏡を見ながら、なぜ上下はそのままで、左右が反対に映って見えるのかを不思議に思っていた時期があります。
いま考えてみれば、映っている対象の左右が逆になっている訳ではなく、鏡面を対称面として、前後が入れ替わっていると言うことが理解できます。

鏡に映った自分と写真に写った自分が同じでないことからも分かるように、身体は完全な左右対称ではありません。
普段行なっている振る舞いにおいて偏りが強い場合には、より著明な左右差が生じることもあります。
さらに、内臓においては、左右の肺の大きさから、心臓の位置や形から、胃腸の走行に至るまで、対称な部分はほとんど見当たりません。
けれども、私達は、得手不得手こそあれ、それほど左右の差と言うことを意識していなくても、様々な動作を行なえています。
一芸に秀でた方々の身のこなしを拝見する中で、あるいは自分自身の動きを見直しながら、身体における対称性と非対称性が、どのようにして両立されているのかという疑問が、以前から頭の片隅にありました。

身体の正中に目を向けてみると、背部には脊柱が通り、その前方を咽喉が走っています。
体幹の中央を通る経路を感じながら呼吸をするとき、あたかも咽喉へと通じる筒が腹部から繋がっているような感覚を覚えます。
それを全方向に均等に締められる姿勢では、吸い上げと共に前後への揺れが生じ、呼気時には頭部まで浮かせた重みが下っていく様子が観察できます。
そうした意識と呼吸が同調して働く通り道は、正中のみならず側方にも存在し、股関節や上肢帯の動きとも密接な関連があることを感じられます。
それらの力の伝わりが左右で一致するように近付けていくことで、両側のバランスを整ってくることを実感できます。
また、その内のいずれかの軸を基準として身勢を取ることで、角度が変化しても、意識や力の向かう方向を合わせていけることを感じています。

仮に、身体が左右対称であれば、釣り合う位置は一点しかありませんが、そうした軸の働きによって、身体の内部も良い位置に納まり、全身のバランスを取り続けられるのではないかと考えています。
腹診を行なうと、腹部の形状や柔らかさや温度や質感にはバラつきがあり、それらが整う方向に向かうと身体の症状が改善することを経験します。
施術を行なう上で、そうした軸が通る位置に導いていくと言うことと、繋がる方向を辿っていくと言うことが、同義であることが分かってきました。
誘導する向きによって、中央に集まる方向と離れる方向があり、集まった状態が途切れないように導いていけると、姿勢も変化していくことを感じています。
鏡に映らない場所にも目を移しながら、身体の観察を深めていきたいと思います。

元伊勢内宮

知覚変動

継続して物事に取り組むとき、変えようとして変わるだけではなく、気付いたら変わっていたということを、しばしば経験します。
その変化を通り過ぎてしまうのではなく、出来る限り認識していくことが、前に進んでいくためには重要では無いかと考えています。
最近、鍼治療を行なっているときの感覚も、少しずつ変わっていることを感じています。

視診や切診は、診断と言うよりは、現状の把握と施術前後の変化を確認するために行ない、全体としてのバランスを診ることを意識しています。
それから、どの経絡あるいは経穴が強まっているか弱まっているかを診て、それらが改善することを意識して施術を行なっています。
四診によって先に証を立てていた頃は、それに従って刺鍼する経穴を決めていましたが、接触鍼を行なう度に現状が変化していることを感じられるようになり、その都度、気になった経穴を選ぶようにしています。
また、経絡や経穴も目安として、定まったラインや位置には拘らないようにしています。

刺鍼を行なう際は、接点から伝わる感覚や、自分自身の内部で起こっている変化を受け取りながら、目線は全体に置いておくことで、視野を広げられることを感じています。
以前は、鍼先から先へ向かう方向へ意識が傾いていましたが、鍼先部から後方への繋がりまで意識しながら行なうことの大切さが分かってきました。
刺鍼の方向は、立ち位置あるいは鍼先の向きを変えることで、自分自身の背骨が立ち、丹田に重みが感じられる側を選んでいます。
骨盤が前後に傾く締めによって刺入し、左右に剪断する動きによって、重みが増す方向へ鍼先を回旋させています。
そこから、体幹の動きによって、左手と右手のバランスを取り続け、より掛かるほうへと辿っていくことで、患者さんの身体を繋げていけることを感じています。
自分自身の掛かり方に比例して、鍼の先の充実感が増し、それが弛み始め、逆向きの流れが鍼穴を通り過ぎる瞬間に抜鍼するようにしています。
鍼先の重みが弛みにくい場合は、鍼の先を、繋がりが途切れない方向に回旋や雀啄をして抜くようにしています。
重みの感触は症状によって様々で、それによって、鍼の動かし方を変えていくことの必要性が分かってきました。
また、働きかけたい経路へ繋げていくためには、選んだ経穴によって、鍼先の傾きや刺鍼の深さを調整することの重要性を感じています。

そうした刺鍼の技術の向上と共に、より的確な選穴が出来るようになれば、もっと治療効果を上げられるのではないかと考えています。
治療家の先生方が書かれた文章の中に、驚くほど繊細な感性をもって、身体を観察されている内容をみることがあります。
そのような深い感覚を自得し、より良い治療を行なえるようになるため、日々精進していきたいと考えています。

北原

考察レポート04

考察レポート03で述べた内容を、引き続き考えてみます。

四肢の横断面において、身体の正中に近い側が内側、遠い側が外側として、それぞれ三本ずつの経路が通っているとします。
そうすると、四肢から体幹へはどういった経路で繋がり、体幹における内外はどのように捉えられるかというテーマが生じます。
そこで、体幹を左右二本の柔らかい円柱として仮想してみると、それらのお互いに近い側が内側、遠い側が外側であることがイメージできます。
そして、下肢あるいは上肢の内側を通っている経路が、いずれも体幹の中心に集まり、腹部で連絡している様子を想像することが出来ます。

円柱

逆に言えば、体幹の中心から動きが起こると、その力は身体内部を伝わり、全身に広がると考えることが出来ます。
考察レポート02で述べたように、体幹の内部の動きには呼吸が重要な役割を果たしています。
呼吸は、随意的にも不随意的にも行なわれる活動で、運動系と内臓系のいずれの働きにも深く関与します。
下肢内側の前寄り、中央、後寄りを上がる経路を意識して呼吸を通すと、外側を走る三本の経路がそれぞれ対応して働いていることを感じられます。
上肢にも同様の対応が見られ、向かう方向は一方だけでなく、上方と下方といったように、バランスを取り合って行なわれていることが分かります。
骨やそれを動かす筋による物理的な支えの背景には、そうした機能的な繋がりがあり、それらが三次元的に釣り合うことで、身体全体のバランスが保たれていると考えられます。
そして、あらゆる運動は、その釣り合いの移り変わりによって行なわれていると考えることが出来ます。

私は、そうした身体の繋がりは、骨や筋を始めとする運動系の働きのみを指すものでは無いと考えています。
治療を行なっていると、下肢の施術によって腹部の症状が改善した、上肢の施術によって歯の痛みが軽減した、といった感想を頂くことが、しばしばあります。
外見上に表れる姿勢や動作は、呼吸だけでなく、心臓や血管の拍動、神経の活動、意識の働き、感情の動きといった心身で起こっているあらゆる変化の一側面であると診ることが出来ます。
それらの身体内部の変化は、無秩序に起こっている訳ではなく、それぞれが関連し合い協調して行われることで生命活動が維持されています。
そして、その関係性が崩れた状態が、心身の不調として、何らかの形で現れると考えられます。
したがって、その結び付きに関与する、いずれの方面からアプローチしても、繋がりが改善する方向に向かえば、健康な状態に近付けられると考えます。

私達の身体には、刻一刻と変化する中で、バランスを取っていくための力が備わっています。
身体の不調を治療する上で、変化を止めようとしたり、逆行させるような考え方を目にすることがありますが、私は、身体に起こる変化が適切に行なわれるように補助していくことが、治療において重要であると考えています。
それは、症状が何であっても、年齢がいくつであっても、良い方向に変わっていく可能性があることを意味します。
そうしたお手伝いが出来るよう、身体の繋がりに関する観察を深め、治療の技術を高めていきたいと考えています。

考察レポート03

「全身のバランス」や「身体の連動」といった言葉を用いることがありますが、それらをどのように表わせるかを考えてみます。
伸筋群・屈筋群といった解剖学上の分類は、末梢の関節の動く方向を基準として決められているため、上肢と下肢あるいは体幹と下肢の動作において整合性が取れず、全身に渡る運動を表すのに適しているとは言えません。
そこで、東洋医学の経絡のイメージを簡略化して取り入れてみます。
身体を横断面で考えてみると、ほとんどの部位が円形に近い形となることが想像されます。
円形のままでは基準を設けにくいため、それに内接する六角形を想定します。
あらゆる高さでその接点が繋がっているとすれば、身体前面に3本、後面に3本の経路が現れ、それぞれの内側、中央、外側を通っていることがイメージ出来ます。
必ずしも、通っている深さは皮膚面上では無く、また、流れている方向も長軸方向のみとは限りません。
六角形
上肢にも下肢にも、左右それぞれ六本ずつの繋がりがあるとすると、それぞれの働きを充分に活かせている状況が、バランスが取れた状態であると言えます。
身体のいずれかの部位に痛みが生じている場合は、そうしたバランスが崩れている可能性が考えられます。
例えば、身体の左側に重心が寄った姿勢が続けば、他の経路に比べて左下肢の外側の負担が大きくなっていることが想像されます。
あるいは、右手の親指を酷使する作業が多ければ、右上肢の外側の経路に疲労が溜まることが予想されます。
そうした偏りが積み重なると、その経路の緊張が高まり、結果として痛みが生じることがあります。
何らかの治療を施して痛みが改善したとしても、それまでと同じ身体の使い方をしていると、同様の症状が起こる可能性があり、根本的な解決にはなりません。
また、痛みが出ないように反対側で同様の使い方をしたり、筋力不足が原因だと考えトレーニングで鍛えたりすることは、偏りを助長してしまう可能性もあります。
したがって、治療を施す上で、痛みの生じている経路の緊張を弛めると共に、上手く働いていない経路を活かしていくことが大切になります。

私達は日常生活を送る中で、知らず知らずの内に、表層の筋あるいは目的とするものに近い部位を使って用件を済ましてしまう傾向にあります。
物を取ろうとして手を伸ばしたり、階段を登ろうとして大腿を持ち上げたり、振り向こうとして首を回したりといった普段何気なく行なっている動作が、しばしば偏りの原因となってしまっていることがあります。
それらの行動は、どこから動きが起こっているか、どの経路を通って行なわれているかによって、全く質の異なったものとなります。
身体後面や外側を通る経絡は、いずれも長い過程を辿って身体を巡ります。
筋を縮めることで関節を動かすのではなく、それらの経路の伸びる方向を辿ることで、表裏のバランスが取れ繋がった動作が可能となります。
また、体幹から上肢あるいは下肢に付着する深層筋の走行を見ると、いずれも四肢の内側に停止していることが分かります。
六本の経路が、頭部もしくは体幹から四肢の先端まで続いているとすると、指の本数よりも一本多いことになります。
経絡図では、小指や母趾に二本の経絡が走行し、身体の内側を通る繋がりの働きが示唆されています。

身体の持つ働きを充分に活かせるように、治療と共に、姿勢や動作のアドバイスを大切にしていきたいと考えています。

<参考文献>
『経絡経穴概論』 編者:東洋療法学校協会 発行所:医道の日本社

心光景

最近、心臓の動きがどの様に全身に伝わっているかを観察しています。
激しい運動をしたあとは心臓の拍動を強く感じますが、安静時においても、心拍に合わせて身体が小さく揺れていることを感じられます。
心拍による響きが伝わりやすい姿勢は、呼吸の通りやすい姿勢とも共通し、姿勢を変えることによって伝わり方は変化します。

心臓からは、全身に張り巡らされた血管を通って血液が送られており、床あるいは身体同士で接している部分は、特に脈の拍動を感じやすくなります。
吸息時には肺で静脈血のガス交換を行なうために、全身の血液が末梢から心臓に向かって集まります。
脈管の動きは呼吸と密接に関連し、超音波検査装置を用いて静脈の動きを見ると、実際に呼吸によって血管の太さが変化する様子が観察されます。
呼吸が深くなるほど、脈管の伸縮の度合いは大きくなり、呼吸が全身の血液の循環に与える影響の大きさを知ることが出来ます。
呼吸に伴って身体の全身が伸びたり膨らんだりする感覚が得られますが、それと脈管やその中を通る血液の動きも関連があるのではないかと考えています。
また、心拍に伴う動きを感じる深さをガイドとして、呼吸の通る経路を変えられることも感じています。

体幹の内部に目を向けてみると、腹部を通る動脈が、心臓の拍動と同調して動いていることを感じられます。
肺や心臓・脈管のみならず、身体に存在するあらゆる臓器が協調して働くことによって、生命を支えてくれています。
特に何もせずにじっとしている時にも、身体の内部は驚くほど活発に動いてくれていることが実感されます。
そうした体験に伴って、脈診を行なっているときの感覚も変わってきました。
身体内部で起こっている動きの現れというイメージを持って脈を診れるようになり、身体のバランスが整うことで良い脈状に近付くということを自然に感じるようになりました。

心臓の位置も形状も動きも、脈管の走行も性質も状態も、それぞれ全く異なります。
血圧や脈拍といった数値から、一般的な平均値と、あるいはその方の過去の値との比較は出来ても、全身の関わりの中での現状を知ることは出来ません。
脈を通して伝わるたくさんの情報を受け取れるように、感覚を高めていきたいと思います。

由良川

考察レポート02

呼吸は、私たちが絶えず行なっている活動で、肺へ空気中の酸素を取り込み、外界へ血液中の二酸化炭素を放出することが目的とされています。
肺は、自身で伸縮することが出来ないため、筋の働きによって、外気圧に対して胸郭の内圧を下げることで膨らみます。
胸式呼吸では外肋間筋あるいは呼吸補助筋で肋骨を挙上したり肋間を拡張させ、腹式呼吸では横隔膜を収縮させて、胸腔の容積を増やし、肺を膨らませているとされています。

特に意識しなければ、胸式呼吸と腹式呼吸を明確に使い分けることは無く、両者は併用して行なわれます。
横隔膜の働きに注目すると、外肋間筋によって肋骨を引き上げて行なう吸息は、横隔膜の起始と停止を引き伸ばしてしまうため、横隔膜の作用を低める要因となります。
吸息時に内肋間筋や最内肋間筋を働かせ、肋間を広げずに吸息を行なうと、横隔膜の収縮力が高まることを感じられます。
横隔膜の収縮によって腹腔の内圧が上がると、骨盤や脊柱に動きが起こり、それらに付随する筋も呼吸の補助をなし得ます。
単に肋間筋や横隔膜を収縮させるだけでは呼吸は起こらず、意識的にせよ無意識的にせよ、呼吸には外界との通り道を開く意志が介在します。
したがって、深い呼吸を行なうために重要なのは、胸腔の容積を広げることだけではなく、呼吸を助けるあらゆる要因を活かすことにあります。
呼吸には、胸部や腹部だけでなく多くの筋が関わっており、その内のどの筋が働いているかによって、呼吸の質は大きく変化することになります。

私たちの身体には、たくさんの筋が備わっていますが、必ずしもその全てを働かせている訳ではありません。
そこに運動神経が繋がっていても、随意的に働かせることが出来ていない筋が存在し、その動作を他の筋の作用で補っていることがあります。
呼吸によって、骨盤の動きを起こす内寛骨筋や、肋骨を締める働きを起こす内肋間筋といった深層の筋も働き、それらを意識的に伸縮させることが可能になります。
体幹の筋が協調性をもって働くことによって、「考察レポート01」で述べた連動が、四肢の末梢まで伝わり、様々な動作を実現することが可能になります。
また、そうした連動が中枢から末梢という一方向だけでなく、双方向に伝わると考えると、全身のあらゆる筋の働きあるいは骨や関節の整合性が、呼吸に影響を与える要因になるとも言えます。

また、随意的に働かせていない筋が存在することは、運動面だけでなく感覚面に対する損失にもなります。
骨格筋には、脳からの命令を伝える運動神経だけでなく、筋の伸長の速度や張力の程度を伝える感覚神経も接合しています。
呼吸によって変化するのは筋だけでなく、関節の角度や皮膚の張力も呼吸の影響を受け、それらの情報も感覚神経を通って脳に伝わります。
呼吸によって起こる様々な変化を感じ取ることが出来ると、身体に対する感覚が高まり、全身の表面から深層まで意識を行き届かせることが可能になります。

このように、呼吸は、酸素と二酸化炭素の入れ替えだけでなく、運動や感覚においても重要な働きを持っていると考えています。
治療においても、身体に備わっている働きを充分に活かせるように、呼吸を通じた施術をさせて頂いています。

<参考文献>
『生理学』 著者:根来英雄・貴邑冨久子 発行所:南江堂

考察レポート01

現在、私が学んでいる身体の見方について、西洋医学の視点から観ると、どういった捉え方が出来るかということを考えることがあります。
「○○医学」といった大きな括りで判断するのではなく、それぞれの考え方において、自分自身の感覚と一致する部分、一致しない部分を丁寧に分析していくことが、身体を多方面から観る上で役立つのでは無いかと考えています。
表現するのが困難な部分も多いとは思いますが、取っ付きやすいところから少しずつ、私なりの見解を纏めていきたいと思います。



自分自身の身体を観察する上で、解剖学で得た骨や筋に関する知識は、たいへん役に立っています。
筋の付着部の中枢に近いほうが「起始」、遠いほうが「停止」と呼ばれ、原則として「停止」が「起始」に近付く動きがその筋の「作用」とされています。
自分自身の身体において、動かせていなかった関節や使えていなかった筋が沢山あることに気付き、骨の形状や配置、筋の大きさや走行を参考にして動作を観察することがあります。
けれども、実際に体感した筋の働きを、記載されている「作用」に当てはめようとすれば、食い違いを生じることも多くあり、時には真逆であるかのように感じることさえあります。

何故そうしたズレが生じるかを考えてみると、まず、解剖学では単独の筋の働きとして「作用」を規定しなければならない点にあるように思います。
普段、行なっている動作において、ただ一つの筋だけを働かせるという状況は存在しないため、動作に関わっている全ての筋の「起始」と「停止」の三次元的な位置関係は常に変化します。
筋の走行をみても明らかなように、前面・後面や内側・外側といった分類だけでなく、回旋を伴った複雑な動きが同時に起こっています。
そのため、平面上の直線的な動きとして「作用」を表わしても、非常に限定された状況でしか、そうした働きは起こらないことになります。

もう一点は、「作用」として示される関節の運動が、筋の収縮に伴って起こる動きのみで捉えられている点にあるように思います。
筋の"収縮"という働きに着目して動作を行なうと、筋が収縮した後は、反対の「作用」を持つ筋の収縮によって元の位置に戻さなけばならず、拮抗する筋が交互に収縮し合う一軸性の運動にしかなりません。
私は、筋を緊張させて収縮したり伸張したりするのではなく、縮む側と伸びる側の筋が常にバランスを取り合い、関節の自由度を保っているからこそ、途切れない動作を実現できると考えています。

例えば、肘関節を屈曲するとき、上腕二頭筋が縮み、上腕三頭筋が伸ばされますが、それらの筋を緊張させて肘を曲げ伸ばししているのではなく、肋骨や肩甲骨が動いた結果として両筋の長さが変化し、そこから生じた張力によって肘関節の角度を調整しているような感覚を持ちます。
四肢の肘関節もしくは膝関節より中枢に停止する筋はいずれも、体幹に存在する骨に起始しているため、骨盤や肋骨を始めとする骨の動きによって筋長が変化します。
そして、それらの筋の張力によって、肘関節や膝関節を構成する骨が立体的に動き、四肢の末梢まで同様に、連動した動作が伝わっていくと考えています。
体幹に存在する大きな骨は、小さな動きであっても末梢に働き掛けるのには充分な変化が伝わり、結果として、どの筋にも大きな負担を掛けることなく分担して全身運動を行なうことが可能になります。
日常で行なっているいずれの動作も、そうしたバランスの変化があらゆる関節で起こることによって、全身の協調した動きとして実現できると考えています。

多くのストレッチや筋力トレーニングは、単独の筋に働きかけることに主眼を置いて作られていますが、全身の協調運動という視点から観ると、そうした動作の繰り返しにはデメリットもあるように思います。
私は、全身の協調性が改善し、日常的にそうした動作を取り戻すことが出来ると、特定の筋に対してストレッチをしなくても柔軟性は維持され、トレーニングをしなくても必要な筋力がついてくると考えています。
骨の長さや、筋・腱の張力や、関節の可動域が各々異なることを考えれば、全身の協調運動を「作用」として一律的に表わすことは困難です。
そのため、治療を行なう上では、一人ずつに合わせた協調運動を、指導させて頂くことが必要であると考えています。

<参考文献>
『解剖学』 編者:岸清・石塚寛 発行所:医歯薬出版

上腕の筋

境調整

呼吸を観察するようになってから、呼吸に伴って起こる身体の変化に関心を持つようになりました。
膨らんだり萎んだり、伸びたり縮んだり、浮いたり沈んだり、張ったり弛んだり、寄せたり返したりと、呼吸から様々な動作が引き起こされていることを感じています。
呼吸の中に、活動や休息をする上で重要な要素が、これほど多く含まれていたことに驚き、そうした発見を楽しんでいます。

吸気に伴う身体の外側の広がりによって、外表面がぼんやりとした境界に包まれることを体感してからは、それを基準の一つとして呼吸を観察しています。
小さく息を吸うと、全身の皮膚が広げられ、そのままゆっくりと吸っていくと、皮膚の密度の変化と共に外側の実感が薄くなっていくように感じます。
呼吸を深くするほど曖昧な境界は厚くなっていきますが、呼吸のリズムが乱れたり、どこかに力が入ったりした途端に、そうした感覚は消えてしまいます。
そして、呼息時においては、それらがどこに集まっていくかを観察しています。
体幹のいずれかの場所を意識して呼気を集め、特に意図を働かせなければ、次の吸息は、集めたところから起こることを感じます。
色々と場所を変えながら遊んでいると、呼気の集まる場所の偏りの積み重ねによっても、身体の歪みや捻れが生じてしまうことが分かってきました。
呼気が丹田に納まると、次の吸息に移ったときに下腹部に吸気が入り、四肢の先端まで空気が広がっていくことを感じられ、丹田を意識することの大切さを改めて実感しています。

そうした境界を感じながら呼吸を観ていくことで、自分自身の固まっていそうなところや意識の薄そうなところを自覚しやすくなりました。
その時々において力の抜きやすい姿勢を取り、境界の濃度に差があれば、その都度、姿勢を調節したり、意識する場所を変えながら、変化を観察しています。
呼吸によって伝わる広がりに、全身が包まれているときは、心地良い安心感を感じます。
そして、内部からの力を遮ることなく外側に伝わるために、趾先から頭部に至るまで、あらゆる関節を呼吸で動かせるようにしていくことの必要性を感じています。

施術においても、自分自身が体感できていない動きは、実感を持って観れていないことを感じています。
これからも、より呼吸の観察を深め、自分自身や患者さんの健康のために役立てていきたいと思います。

アジサイ

弛緩ぶらし

久しぶりに会った知人に、以前と比べて姿勢が良くなったと言ってもらえることが時々あります。
姿勢が良い悪いと言う話題は、日常でもよく耳にしますが、厳密な意味での「良い姿勢」とは、どういう状態なのかを考えることがあります。

以前は、「理想の姿勢のイメージ」が頭の中にあり、それに近ければ姿勢が良いと感じ、遠ければ悪いと感じているのだと考えていました。
しかし、座位や立位といった一定の体勢を取っていても、呼吸と共に、常に姿勢は変化しています。
ひとたび動かないように同じ位置で留まろうと意識すると、様々な部位を緊張させてしまうことを感じられます。
例えその瞬間は力が抜けている姿勢であっても、ずっとその姿勢を保とうとすれば、それは固まっていることと同様になってしまいます。
であるとすると、良い姿勢とは、常に固まらずに変化できる状態であり、固定されたイメージとしては表わせないことになります。

今まで、動作を行ないながら、特定の経路に注目して身体の繋がりを観察していることはよくありましたが、その際に、裏を通っている経路を同時に意識することの大切さが分かってきました。
表裏の経路が同じ方向に伸びたり縮んだりするだけなら単なる直線的な屈伸運動になりますが、表裏の相反する動きの絡み合いによって、途切れることなく動きが続いていくことを感じています。
身体の向かう方向の変化を、それぞれの経路の陽から陰、陰から陽への切り替わりであると考えると、陰陽論との関わりを感じられ面白く思います。
そして、そうした移り変わりは、程度の差こそあれ、いかなる姿勢においても同様に起こっていることを感じています。

視診をさせて頂く上でも、そうした変化する中でのバランスに注目しています。
例えば、背部を診せて頂いたときに、膀胱経のラインが、頭側に向かって伸びようとしているように診えることもあれば、尾側に向かって縮もうとしているように診えることもあります。
その方向の不一致や虚実の差が、全身の傾きや捻れとして、あるいは反りや丸まりとして姿勢に表れることを感じています。
そして、それらが向かっている方向が整うように誘導させて頂くことで、全身のバランスが改善できることを感じています。
より良い施術を行なえるよう、姿勢の観察を深めていきたいと考えています。

イネ

一鍼一体

私は、鍼灸師の資格を取得してから数年、経絡治療の勉強会に参加しながら、そこで教わった方針に沿って鍼治療を行なっていました。
理論や形としての実技は学んでいたものの、自分自身の中できちんと整理できずにいましたが、中心塾や観照塾に参加させて頂く中で、それらを自身の体感と結び付けられるようになり、鍼治療をさせて頂くときの感覚がずいぶん変わってきました。

鍼治療における手技も、合気道の技と同様に、呼吸と一致した動作が重要であることを感じています。
自分自身の軸を立てて呼気と共に力を抜くと、自然に鍼が沈んでいき、そこから吸気に伴う水平方向の張りによって皮膚の緩みが取れ、両手の橈側と尺側の引きと攻めによって鍼の深度や届く距離を調節できることを感じています。
右手と左手の間に一本の細い糸が張る位置で患者さんの頚までの経路を順に繋げ、最も深い所まで「入れて」待っていると、その道を通って反対向きの流れが生まれることを感じられるようになってきました。
そこから、瀉法では下りてきた流れのままに「抜き」、補法では抜鍼後にすぐに鍼穴を閉じることによって再び「入れる」ことを意識して施術を行なっています。

そうした力の伝わりを感じるために、入れてから抜くまで、あらゆる接点を生かしながら、常に通り道を探っていくことの重要性を実感しています。
今まで押し手の働きが大切であるということを繰り返し教わっていたにも関わらず、合わせた指先に力を入れて、自分自身で繋がりを遮断してしまっていたことが、ようやく分かってきました。
そして、感覚においても動作においても、あらゆる過程で基準となる自分自身の身体を整えておくことの大切さを、改めて感じています。

実技に限らず、診断や選穴といった理論においても、どうしてそのように行なっておられるのかを観ようとしておらず、如何に「学ぶ」ための準備が出来ていなかったかを感じています。
いま思い出してみると実感を持って納得できる事柄が多くあり、それらを整理して自分自身の中で統合していく必要性を感じています。
より良い施術を行なえるよう自分なりに工夫しながら、鍼治療を学び続けていきたいと思っています。

カモ

 

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