センター私見

感覚より思考が先行するとき、物事を単純化して考えようとする傾向があります。
例えば、運動学では、前後左右上下の三軸を想定して動作を評価します。
けれども、実際の人体の動きはそうした分析が出来ないほど複雑です。
合気を学び始めた頃、動作を行なっているときに骨盤が前に傾くのか後ろに傾くのかが、気になっていました。
けれども、身体を観察していく内に、骨盤の動きは前後の傾きだけで表せるほど単純ではないことに気付きます。

身体には、一見、相反するように思える現象が同時に起こっていたりします。
吸息では、身体の中央が締まりながら、全身の皮膚が広がります。
体幹や四肢の芯が細くなって圧が高まると同時に、内から広がる力によって外に張りが生まれます。
呼息と共に、更に締まってセンターに集まりながら、意識は広がります。
全方向に均等に広がるからこそ、中央に軸が生まれます。

息を吸うと、鼻から肺へと空気が下に流れて、中央では上昇する力が生じます。
踵が伸びて足底の圧が高まると共に、腕や脚が軽く上がります。
息を吐くと、重みが下に落ちながら、更に軸が伸びて長くなります。
重力に逆らわずに垂直に落ちるからこそ、真っ直ぐに昇っていく働きが起こります。

息をどのように吸い上げるかによって、動きの多様性が生まれます。
呼吸で外への広がりが生じている時、中の経路の働きが高まります。
中心のバランスの変化によって動けると、動きは全体に伝わり、力は双方向に流れます。
動作において必要な要素を、そうしたセンターでの呼吸の働きに集約していけるように稽古しています。
身体の認識が深まり自由度が高まるほど、センターの幅は細く、振れ幅は小さくなります。

呼吸に合わせて動いているつもりでも、一方への働きを求めると、全体の調和を欠いたものになります。
両面性を満たし続けることで、一方向に振り切らずに、どちらにでも動ける状態になります。
そうした立ち位置は、物事の捉え方においても重要です。
今日のセンターが明日のセンターと同じとは限りませんが、常に揺らぐことの出来るバランスを目指します。
そうしたバランスにあると、周りの環境に合わせて、どちらにも転がることが出来ます。
楽をするための努力を惜しまずに、センターを目指し続けていきたいと思います。

ゴリラ

会陰主体ん?

呼吸と会陰の関係に注目して観察していると、色々な発見があります。
呼吸が身体の中心を通ると、自然に会陰が締まります。
それは、口を閉じようとしなくても閉じているのと似ています。
口で呼吸をすると、唇の間に隙間が空き、会陰は弛んだままになります。
鼻で深く息を吸えると、勝手に口は閉まり、会陰は締まります。
口を閉じようと意識して口周りに力が入っていると、息が吸えなくなります。
弛んだ状態にあるからこそ、呼吸の働きで伸びたり締まったりします。

呼吸によって身体が中央へと引き締まりながら内側から広がり、相反する動きが同時に起こります。
呼吸と共に会陰が締まると、骨盤の内圧が高まって臀部が丸くなり、脚や腕も均等に膨らみます。
その時、骨盤や肋骨や頭蓋骨は連動して締まります。
会陰が引き上がった分だけ、百会を下から押し上げる働きが生まれます。
重みを骨で支えるのではなく、内圧の高まりによって浮かすことで、骨をフリーに動かせる状態が保たれます。
軸と一緒に四肢の中も伸び、鼠径部や腋窩の切れ込みが深くなり、下肢内側や上肢尺側の張力が高まります。
そうした状態にあると、中心を少し動かすだけで全体が繋がって動きます。

呼吸の全体量を保ったまま、内圧の配分を移すことで、身体のバランスを変えることが出来ます。
呼吸の流れから、隙間の形が変わります。
隙間があるからこそ、詰まらずに動ける余地が生まれます。
刀を持つときは会陰の切れ込みの細さで動き、鍼を扱うときは集約していく点で捩じります。
骨盤底の丸みが剣の反りに反映され、会陰の絞りが鍼先から先に向かう意識と一致します。
施術では、ご本人の呼吸で均一に膨らみ、均一に納まっていくバランスに近付くように、手を沿わせます。
両手の引き分けは会陰の引き上げや絞りと連動し、外でぶつからずに中で弛みを取ることで、芯を感じられます。
絞られた会陰が解けていく方向によって身体の弛んでいく流れは決まり、行き着く先を邪魔しないように動きます。
自分の身体がまとまったまま動けると、相手の身体のバランスも整う方向へ向かいます。

条件が変わっても、呼吸と共に身体が張ったり弛んだりする姿勢でいられるように意識しています。
常にそうした状態が普通になることを目標にしていきたいと思っています。

会陰

脳転機

合気の稽古に参加し始めた頃、特に分からなかったのは、「中の動き」でした。
「身体の中を動かす」とか「相手の中を繋げる」といった説明を受けても、感覚としてピンと来ませんでした。
身体の内部を意識して動かした経験が無かったので、当然と言えば当然です。
今は、そのようにしか表現しようがないと思えます。

合気の稽古では、目に見える世界だけで理解しようとすると、説明がつかないような不思議な体験をたくさんします。
力を入れた方が、力を抜いた方に転ばされます。
外から見ても分からないほどの僅かな動きから、身体を飛ばされます。
同じ強さで触れても、どのような意識を持っているかで、伝わる力の深度が変わります。
実際にそうしたことが起こることを経験し、身体に対する捉え方を変えることを余儀なくされます。

稽古の積み重ねを通して、「骨で支えて、筋肉で動く」という従来の身体のイメージから、「軸を伸ばして、呼吸で動く」という新たな身体観を得ます。
それは、物体としての身体に重きを置いた見方から、実体として見えない世界に目を向けるという観点の移行でもあります。
そのためには、自分の意識の世界を見つめ直すことが不可欠になります。
姿勢を維持するのも、動きを導くのも、意識の変化の結果として表れます。
「軸」も「経絡」も目に見える実体があるわけでは無く、意識という背景があって初めて存在します。

意識は呼吸と連動し、呼吸で空気が出入りするように、意識も外に向かったり内に向かったり、浅くなったり深くなったり、太くなったり細くなったりします。
そうした意識の働きが、自分の身体や周りに与える影響と深く関わっています。
呼吸をコントロールすることは、意識を自在に使えるようにすることでもあります。
呼吸と一口に言っても、行為として行なっている呼吸と、心から安らいだときに深いところで起こる呼吸とは、脳の関わる場所が異なります。
呼吸と共に脳の深層まで弛んでいくと、深いリラックスが得られ、そこから活力が起こります。
身体の外側の動きは脳の表層の働きと関連し、体内の動きは脳の深層にある本能的な場所との関わりが強くなります。
意識して呼吸を変えていくことで、無意識の状態も変化し、元来、人が持っている力を高めることに繋がるのだと思います。

治療においても、そうした見えない世界での関わり合いが大切なのだと考えています。
施術をしていると、お客様の訴えていた症状だけでなく、思わぬ身体の変化を教えてもらうことがあります。
中の繋がりにアプローチすると身体の根源的な働きに影響を及ぼし、様々な反応が生じるのだと考えます。
施術で、いくらポジションを整えたり外側を弛めても、意識が変わらなければ直ぐに戻ってしまいます。
ご本人がどれくらい認識されているかに関わらず、施術を通して内に働き掛けていくことが大切なのだと思います。
私が合気を通して身体について深く学ぶ機会を頂いたように、そうした切っ掛けとなるような施術を目指していきたいと思います。

タイトル

発見臀

合気二刀剣を稽古していて、骨盤の感覚が変わってきました。
左右の骨盤の内部に球があり、呼吸に合わせて中心に締まったり弛んだりしています。
鼻孔は二つあるから、息を吸って一つに集まる時に締まって細くなります。
同様に、骨盤も左右から中央に呼吸が集まってくるからこそ、芯が締まりながら吸い上がります。
二つの球の接点の最下部に会陰があり、隙間を呼吸が通ると任脈・督脈へと繋がります。
会陰の切れ込みが刀の刃筋と一致し、その深さが意識の細さや奥行きに反映されます。
左右の球は同側に転がると前後左右の傾きになり、対称に転がると回旋の動きが生まれます。
球の中心をぶらさずに前屈していくと、鼠径部に入り込んでいくように骨盤が回転し、身体が深く折り畳まります。
球の動きはそのまま手や足にも表れ、球が締まると手も締まり、球が回転した方向に手が動きます。
動きの方向付けさえすれば、どの向きであっても後は骨盤のカーブに沿って転がり、動作が繋がっていきます。
一方だけが回ることはなく、左右が協調して動くからこそ、全体の引きと攻めが起こります。

二刀を持つ時は、左右それぞれ骨盤と手を対応させる必要があることが分かってきました。
下腹部を一つの球として認識して骨盤から動いても、左右の弛みを別々に取ることは出来ません。
左右の骨盤の球からそれぞれの接点に合わせ、骨盤のバランスが丸く納まる方へ弛めると、斬る動きになります。
二つの球が内接する大きな球の中心があり、骨盤が纏まろうとする働きと、肚に落ちる感覚は一致します。
どんな時でも骨盤と手を連動させて動こうとすれば、いかに繊細な感覚と操作が必要であるかが分かってきました。
尻を知り尽くせるように、観察を深めていきたいと思います。

尻

手役と脇役

最近、手の動きによる全身のバランスの変化を観察しています。
母指球と小指球が寄ると、骨盤や下位の肋骨が締まります。
示指や薬指も寄ると、上位の肋骨まで締まって頚が立ちます。
中指が伸びると、頭が立ち上がり軸が伸びます。
小指側が伸びると反る連動が起こり、腰が入ります。
一枚の葉がまるで木に見えるように、手も全体の一部分で有りながら、それ自体が全体を表します。

体幹の軸を中心に回旋すると、両手が連動してバランスを取ります。
母指球と小指球の引きと攻めと対応して、同側の骨盤や肋骨に回旋が起こります。
骨盤と肋骨を同じ面で動かすためには、背骨や胸骨と肋骨の間の関節が自由に動くように弛めておく必要があります。
肋骨を一本ずつ動かしていると、それぞれの肋骨と指を通るラインに関連があることに気付きます。
骨盤や肋骨の内面を繋ぐ袋が丹田の圧によって形を変え、手の動きに反映されます。
直接に触れる主役は手でも、それを陰で支える沢山の働きがあって、初めて舞台が成り立ちます。
手の形によって、弛めたときの行き先が変わります。
手首を決めたままバランスの変化に付いていくことで、頚への繋がりが途切れずに保たれます。
軸が伸びていくほうに弛めていくことで、流れが指先まで辿り着き、伸展が起こります。

鍼を母指と示指の先で摘まんで接触鍼を行なっていると、自分の指先の脈動や振動を感じられます。
意図的に震わせるのではなく、勝手に起こっている振動が鍼を通して相手の身体に伝わっていくようにイメージしています。
鍼を離しても、その二本は他の指よりも感覚が高まっています。
母指と他の四指で輪を作ってみると、それぞれの指で内部に対する感覚に差があることが分かります。
全ての指を感覚を高めた状態で触れられるように、手の形を工夫するようにしています。

身体の中の動きと言うのは、これまで思っていたよりも多彩なのだということを感じています。
皮膚の表面で感じ取ろうとするのではなく、中の細やかな動きを感じ取れるくらい指先を弛められると、自然に情報が入ってくることを実感しています。
主役が輝けるように、脇役をしっかり育てていきたいと思っています。

81c3cc185f906ea961b7169f8f318b01_l.jpg

球体以前

一口に腹式呼吸と言っても、その通り方は多種多様です。
呼吸が前側しか入っていないと腰が反って緊張しやすくなります。
後ろ側だけ膨らませようとすれば、腹筋が縮んで固まります。
お腹の上の方にしか呼吸が入っていないと、そこから上の高さの脊椎が過度に反ります。
どのように呼吸をしているかが、姿勢に反映されています。

肚の中心から均一に呼吸が入るとき、骨盤の内側から球形に膨らむ感覚が得られます。
臀部も恥骨側も内圧が高まり、仙骨が起きて腰が立ちます。
球面の一点にさらに呼吸を入れてみると、全身のどこかと対応していることに気付きます。
下面の左寄りと右寄りから、下肢に力が満ちて足底の圧が高まります。
頂点の圧を高めると、芯が伸びて頭頂まで伝わります。
球体から映し出されたものが広がって人型を形作ります。

球形だからこそ、どの方向からの負荷にも対応できます。
外部から受けた負荷により球面に圧が高まる場所があれば、弱まる場所が現れます。
そこに呼吸を入れて均一に近付けると、身体のバランスを取ろうとする動きが起こります。
そうした働きに任せるためには、肚の圧を保ったまま、呼吸が出来るかどうかが重要になります。
身体の張りを維持したままバランスを変えようとすれば、中で動くしかありません。
筋力で耐えようとした途端に、身体は固まって球の弾力は失われます。
球の中心を見失わずに球を転がすことで、バランスを保ったまま動くことが出来ます。

施術のときも、自分だけでなく、患者さんの中心を意識するようにしています。
患者さんの身体のどこに触れるときも、腹部の呼吸の満ち引きを感じられるように心掛けています。
身体の繋がりにくい場所と、球形の膨らみにくい方向は対応しています。
別の場所のバランスを変えることで、呼吸が球形に近付くように補助できると、バランスが整う方向に向かっていきます。

身体の使い方の癖によって、球の形にも偏りが出来てしまいます。
丸く柔らかな球体になれるよう、肚の底から呼吸を味わっていきたいと思っています。


球体

場探究

観照塾の稽古で、息を吸い上げるとき、背中の辺りを飛ばしていることを指摘して頂いたことがありました。
それ以来、脊椎一つ一つを順に丸めたり、反らしたりするように意識しながら、「鳥と亀」を練習しています。

動作を観察していて、いかに「自分の意識」が「自分」に騙されやすいかを実感します。
動きを抜かしていたり、置き換えていたりしても、自覚できていないことがよくあります。
そして、そうしたズレが、合気の技が掛かるか掛らないかという、大きな違いとなって表れます。
それは、「自分のイメージ」と「現実の動き」の間のズレであり、それらを重ね合わせていくことが、心身の一致した動きに繋がると考えています。

練習している内に、いくら背骨を動かそうとして背骨を動かしても、動作が上手く繋がらないことに気付きます。
個々の関節の運動を連続させても、連動した動きにはなりません。
点を繋げて線に見せるのではなく、途切れない線を書くためには、身体の経路を通していく必要があります。
体幹の内部を、呼吸と共に内側からなぞるように動くと、結果として骨盤や背骨が動きます。
動き出すときに、どこから書き始めるかが大切だと感じています。
合気の技で相手にのの字の最初を書いてもらうのと同じように、自分の呼吸と脱力で書き始めるように意識しています。
努力してお腹に息を吸い込むと、腹部が緊張して、それ以上息を吸えなくなります。
溜め息をつくのと逆向きに、吸息がお腹に落ちるようにフッと力を抜くと、空気が下腹部に溜まる感覚を得られます。
下腹部が充実して脱力した状態にあると、体内を自由に動かすことが出来ます。
なぞっていく流れは、体幹内部から頚の隙間を抜け、頭部の内側を回って下りていきます。
体内を一周して、また起点に繋がるように重みが落ちると、動きが循環します。

そうした経路は、正中だけでなく、側方を通ったり、下肢から反対側の上肢へ交差したりと、身体に張り巡らされています。
経路を意識して動作してみると、筋を主導とした動きとは全く別物であることを感じられます。
磁石そのものの働きが磁場に表れるように、身体の内外に意識の場のようなものがあり、意識の流れに付いて身体が動いているような感覚が得られます。
丹田は、それらの経路が交差する中心としてイメージしています。
状況に応じて、どの経路にでも自在に通せるようにしていくことが、身体に備わった力を発揮する上で重要だと考えています。

そうした観点から見ると、病院のリハビリなどで行われている運動のほとんどが、筋や関節などの形に働き掛けるものだということが分かります。
いくら形を分析しても、その背後にある意識が変わらなければ、その方が抱えている問題の本質には辿り着けません。
それと同時に、客観的に説明できるような形と違って、各々の感覚に依る意識は、人に伝えるのがとても難しいことを感じています。
自分の感覚を深めていくことで、少しでも身体の新たな可能性に気付いて頂けるよう、工夫していきたいと思います。

磁石

航行相対

私は十代の頃、サイエンス関係の本が好きで、よく読んでいました。
最新の科学で分析した宇宙や時間の話にワクワクし、自分が大人になる頃には謎が解明されるのではないかと楽しみにしていました。
相対性理論や量子力学に関する記事をよく目にしました。
相対性理論によると、超高速で飛ぶ宇宙船に乗っている人と、それを地上から見ている人では、時間の流れる早さが変わります。
絶対的なものだと信じられてきた時間や空間が、観測する立場によって変わる相対的なものだという捉え方に驚きました。
量子力学は、原子よりも小さいミクロの世界を扱う学問です。
量子はどこにでも存在する可能性があり、観測することで初めて何処に在るかが決定するという不思議な性質を持ちます。
観測者の脳が認識するかどうかで世界が変わるという、まるで哲学のような話が実際に研究されています。
それらは光に近い速さや極小の粒子に限られたものとされていますが、世界が絶対的な物理法則に支配されているという考え方を根底から覆すものでした。

医学の世界にも、そうした発想は有用なのではないかと思うことがあります。
現代医学は,客観的な根拠が重要視され、科学的に証明されていないことや個人の感覚は、信用性が低いとして軽んじられる傾向にあります。
客観的な検査を元に診断が下され、治療の結果として、それが客観的に見ても治癒していることが求められます。
レントゲンで骨折が見つかったり、血液検査で細菌感染が判明したり、と言ったようにハッキリした原因が特定される場合は、客観的なデータが役立ちます。

けれども、病気や怪我のつらさは患者さん個人の主観に依るところが大きく、それを客観的に評価することは困難な場合も多くあります。
手術は成功だったのに、結果として新たな症状が引き起こされ、手術をしたことを後悔している患者さんもおられます。
あるいは、画像診断で関節の変形によって痛みが出ていると言われた患者さんが、レントゲン上は何も変わっていないのに症状が消失するケースをよく目にします。
そうした、主観的な訴えと客観的な治療の間にズレがあることが、様々な医療の問題の原因になっているように感じます。
客観的な根拠を元に治療するだけでは病が無くならないことは、医療費が年々増大していることからも客観的に証明されています。
病が身体からの訴えであるとすれば、このまま医学が主観を診ることをしなければ、客観的に示すことが出来ない痛みや精神の病気が益々増えてくるような気がします。

治療を施す側も、受ける側も、もっと主観に目を向けても良いのではないかと思います。
患者さんは術者に責任を委ね、術者は知識を元に治療を行ない、それを書いた本人は全く関係の無い場所に居て、その場において誰の主観も反映されないという状況が起こり得ます。
どれほど有名な先生の唱えた説でも、実際に試してみて変わらなければ、それは自分に合っていないということになります。
反対に、思い付きでやってみた方法でも楽になったなら、それは自分にとって立派な健康法だと言えます。

私が身体について感じていることも主観ですが、その中で自分の片寄りを取り除いていけば、客観的に観ても成立するのではないかと考えています。
何故なら、自然の働きで生まれた私達の身体は、同じ原理で出来ているはずだからです。
より多くの主観が反映された身体観がどのようになっていくのかを想像すると、宇宙に感じたのと同じようにワクワクします。

天体

差異文化

K野先生から、武術や治療について教わるだけでなく、聞香や書法といった様々な文化に触れる機会を頂いています。
お香の聞き方は呼吸法そのもので、それぞれの香木の香りによって、身体に様々な変化が起こることを体験させて頂きました。
筆の運び方も合気の動作に通じ、筆跡にはその時の呼吸や心持ちが反映されていることを学び、それ以来、文字に対する見方が変わりました。
そうした繊細な世界があることを知り、身体を通じてそれらの共通点を体感し、微妙な違いを楽しむことの喜びを体験させて頂いています。
現代では、香りは本物に似せて作られた香料が使われ、文字は統一されたデータとしてやり取りされています。
手紙を受け取ったとき、筆で書かれた文字と、印刷されたフォントでは、同じ文章であっても、伝わる情報量は格段に違ってきます。
けれども、その違いが必要とされなくなれば、そうした文化は失われ、形骸化してしまいます。
これから時代が進むにつれて、ますます微妙な差を感じ取る感性が薄れていってしまうとすれば、残念なことだと思います。
それは特別なものではなく、他者とのコミュニケーションにも、毎回の食事にも、窓の外の景色にも、自分の感覚を介する全てに通じるような気がします。

そして、生活の中で細やかな感性を育てていくことは、健康においても大切であるように思います。
たとえ、いま健康な状態にあったとしても、無理を掛ければケガをし、不摂生をすれば体調を崩します。
身体にとってマイナスになることがあれば、様々な反応を通じて、身体はサインを出してくれています。
それに気付かずに、あるいは気付いていても、負担を掛け続けることが、身体の釣り合いを傾け、不調を引き起こします。
私自身、学生の頃に、脚がつったり、腰を痛めたりすることがありました。
今思えば、身体が出してくれているサインに目を向けず、自分に対して無頓着であったことを実感します。

合気の稽古を通して、骨盤のわずかな傾きの違いでも、脚の力を抜けるかどうかが変わってくることを体験してきました。
身体を観察する中で新たな発見をする度、それを普通として気付かせないほど、精妙に創られた自然の働きに感心させられます。
歩いていてバランスを崩しかけても、身体を立て直そうとする反射によって足を踏み出せれば、転倒することを回避できます。
それと同様に、一定の範囲から外れなければ、自然に身体のバランスを保とうとする力が働いて、健康をキープしてくれます。
そうした力を享受し続けるためには、自分に対する「気遣い」が必要であるように感じます。
身体はどうすれば自分が良い方向に進んでいくかを知っており、その声を真摯に聴き、それに沿って生活していくことの大切さを感じます。
そして、それを意識しなくても自然に出来ていることが、健康な状態ではないかと思います。

治療も、「治す」という結果を求めて行われるものではなく、「気遣い」の延長上にあるように感じています。
患者さんの状態を診たり、身体の変化を受け取ったり、細やかに感じ取れるように自分を変えていくことが重要であることを学んでいます。
皮膚にかすかに触れるだけでも、あるいは触れる前でさえ、全身に反応が起こることを経験し、お互いに与え合っている影響の大きさを感じます。
実際に施術として行なっているのは、治療の全体ではなく一つの表れで、望ましい方向に向かうのであれば、その切っ掛けは何であっても良いのではないかと考えるようになりました。

自分への「気遣い」を積み重ねていくことで「息遣い」が変わり、それを他者にも広げられれば「合気遣い」になれるのかな~と思います。
これからも目の前の物事に潜む微妙な違いを楽しみながら、繊細な感覚を育てていきたいと思います。

桜

息昇沈

呼吸を観察する中で、身体の意識が広がったり、姿勢が整えられたりします。
そして、意識や姿勢が変わると、それまでと呼吸の通り方も変化し、また新たな発見が得られることを面白く思います。

下腹部へ息を入れるとき、前後や左右の膨らみに対して、上下への意識が薄いことに気付く機会がありました。
内圧を高めて腹腔の隙間を広げていくと、骨盤の内側から球形に膨らむ感覚を感じられるようになりました。
下腹部の膨らみと共に、前面では鼠径部の深みが生まれ、後ろや横には臀部の丸みが出来ることを感じられます。
中に空間が生まれると、骨盤が浮いた状態になり、自由に股関節が動かせるようになる感覚がありました。

腹部への吸息は骨盤で区切られるものではなく、下方では大腿部にも広がり、膝が弛み、足部と繋がるように伝わって行きます。
そして、腹部の空気を吸い上げることで、横隔膜が締まって肋骨が浮き、背骨が伸びて頭の位置が決まります。
臀部の丸みが踵や後頭部のカーブと対応し、鼠径部の鍬え込みは足関節の深みや、頚椎と頭蓋骨の間の切れ込みと関連していることを感じます。
関節が深くなるほど、中の経路が伸び、呼吸の密度が増していくように感じています。

腹部への吸息によって丹田の感覚が高まると共に、全身がぼんやりとした層で覆われる感覚があります。
体幹の吸息が満ちたところから、さらに息を吸えると、末端に回される空気の量が増え、指先の方まで通っていくことを体感できます。
本流の水が満ちているからこそ、溢れた水が支流にも流れ込んでいくようにイメージしています。
吸気によって内部の圧が高まり、軸が伸びたところから、さらに吸うことで背中や後頚部が伸び、二度伸びるように感じられます。
呼息も同様に、吸ったところから弛めると脱力の通り道が生まれ、それから息を吐くことで、二度弛められます。
弛めることで丹田の位置が沈み、戻っていく場所が定まることで、より深い脱力が得られるのではないかと思っています。
そうして意識しながら行なう呼吸と、普段から無意識に行なっている呼吸の差が縮まれば、呼気や吸気の通り道をもっと自在に扱えるようになるのではないかと想像しています。

日々の呼吸の積み重ねが、今の自分を創り、これからの自分を変えていくと考えると、その大切さを思わずにはいられません。
息をする度に、ますます健康になっていく身体を目指していきたいと思います。

海

興味心身

子供を見ていると、成長する最も大きな原動力は好奇心であるような気がします。
産まれたばかりの頃は、与えられたものを受け取ることしか出来ません。
目が見えるようになると、目に映るものを何でも、触ったり、動かしたり、舐めたりして自分で確かめるようになります。
だんだん、叩いたり、振り回したり、破ったり、落としたりと、動作のバリエーションが増えてきます。
そして、遠くにあるものを取ろうと手足を伸ばして、寝た姿勢から寝返りやハイハイが出来るようになります。
さらに、掴まり立ちをしたり、つたい歩きをしたりして、高いところにあるものにも手が届くようになり、行動範囲が広がっていきます。
戸棚を開けたり、元の場所に片付けたり、足場を用意したり、複雑な行動もできるようになっていきます。
好奇心が行動を生み、その行動が新たな可能性を広げていくことを、子供が日々成長していく様子を見ていて感じます。

自分自身においても、何かを学ぼうとする動機はいつも、それを知りたいという好奇心から来ているように思います。
大人になるにつれ、出会った方から話を聞いたり、行ったことの無い場所に訪れたり、知らないことを本で読んだり、さらに世界が広がります。
しかし、関心を持って観れば、外界はおろか、自分の身体にも分からないことが一杯であることを知ります。
以前は、身体の目で見える範囲ですら把握できておらず、体内のこととなると、何らかの不調でも無い限り気にすることもありませんでした。
毎日、動いたり、食べたり、寝たりしていますが、特に意識しなくてもそれらが自然に行われるため、注意を払って来ませんでした。
けれども、それらが当たり前のように行われる背景には、当たり前とは思えない素晴らしい働きが介在していることに気付きます。
そして、そうした感覚は、誰に聞いても、どんな本を読んでも身に付くものではなく、自分が求めることで初めて得られるものであることを学びます。

どこで聞いたのか忘れましたが、「大人になると物事が分かったような気がするのは、分からないことを切り捨ててきたからだ」という意味合いの言葉を耳にしたことがあります。
分からないことへの好奇心を、いつまでも大切にして成長していきたいと思っています。
そして、生涯に渡って続けられるであろう楽しみに気付かせてくださっている方々に、心より感謝します。

押入れ

多岐昇り

身体は、その人の必要に応じて変わります。
仕事で筋力をよく使っていると筋肉質な体になり、繊細な動きが求められることが多いとしなやかな体になります。
健康を志す上でも、身体に対してどのようなイメージを持って過ごしているかが大切であるように思います。

人体の60パーセントは水で構成されていると言われています。
息を吸うと、鼻から肺へと下向きに空気が移動しますが、その時、呼吸の出入りと連動して反対向きに浮き上がる力が働く感覚を得られます。
ストローでコップの水を吸い上げるのと同じように、両脚の中を通して足底からお腹へと上がってくる流れを感じられます。
そこからさらに吸うと、下から上がってきた力によって、中央の通り道が細く長く引き伸ばされます。
身体の中央を通る芯の昇り降りによって、全身の筋や関節も伸ばされたり弛んだりします。
中心の伸びによって踵と後頭骨の間の長さが保たれると、背骨は重みを支えるという負担から解放され、自由に波が伝わるようになります。
肩甲骨が肋骨から浮き、骨盤が仙骨から浮くと、四肢と繋がる経路を通して中心の揺れが末端にまで伝わります。
重力によって下方に引かれる力と、呼吸によって浮き上がる力が釣り合い、中心を傾けると、各部位の骨の形状や筋腱の張力の中でバランスを変えます。
それらは呼吸の通り道を変えることで自分の意思でコントロールされ、芯の動きによって様々な動作を行うことが出来ます。

私自身、下の骨が上の骨を支えたり、筋で骨を引っ張っているように考えていたときは、こうしたイメージは持っていませんでした。
身体を固体として、重力に反して体重を持ち上げようと考えると、立ち上がったり腕や脚を上げたりするために大きな力が必要となります。
さらに、加齢と共に、関節の隙間が狭くなったり、背中が丸くなったり、皮膚が弛んだりといったマイナスの話ばかりが増えるような気がします。
身体に働いている力は地球の重力だけでなく、内側では中央へ締まって伸び、上方へ浮き上がる力もあります。
そうした身体の内に備わった働きを体感して頂けると、それだけで体調や姿勢が変わられることを実感しています。
これからも、より楽に身体を感じて頂けるよう、サポートをしていきたいと思います。

滝

参照1:乗るウェイ
参照2:弛緩ぶらし
参照3:休憩膝

優秀伸び

数か月前の観照塾で、脊柱を伸ばしたまま、股関節から体幹を傾ける動きを稽古しました。
その時、私は膀胱経が伸びていくよりも先に、腰椎を後弯させて代償してしまっていることに、ようやく気付くことが出来ました。
下位腰椎を反れないと、骨盤や股関節の働きが狭まり、下肢と体幹が繋がりにくい姿勢になってしまうことを自覚できました。
それ以来、呼吸と共に起こる身体の反る丸める動作を見直しています。

体幹を前屈したとき、仙骨と後頭骨の間に架かった吊り橋のように体幹を重力に任せることが出来ると、腹部の皮膚に重みに沿った撓みを感じられ、いかに腹筋を縮めていたかを実感しました。
腹部が伸びているときは、思っているより股関節が後方にあり、丹田からみると頭までの距離が遠くなったような感覚が得られます。
そうした姿勢がそのまま、吸い込みの深さや伝わる力の大きさにも影響しているように感じています。
腹部に、骨盤と肋骨下部を繋ぐ経路を感じられ、それが剣術の立て替えのラインと一致していることを感じます。
背骨を伸ばした姿勢で呼吸を通すことで、脊柱に備わった湾曲から、上方へ浮かす力と下方へ落とす力や、前方に向かう力と後方に引く力が同時に起こることを体感します。
四肢の先まで意識を通すと、指先が伸趾先を反らす働きが起こり、膝や股関節を弛めたまま動けることを感じています。

息を吸いながら横隔膜を均等に締めて浮かせると、中心の軸が伸び、それに伴って周りの経絡がさらに引き伸ばされます。
伸びにくい場所、左右の伸び方の違いなど、経絡を伸ばしたときのテンションのばらつきによって、自分の身体のバランスを観察しています。
全身の経絡が高まった感覚を維持したまま動こうとすれば、使えていない場所を働かせる必要があり、日常の動作を改めて見つめ直す必要性を感じています。
座っているときの骨盤の傾き、歩いているときの股関節の動き、施術するときの脚の使い方など、色々とテーマを変えながら観察しています。

自分が認識できていなかった癖に一つ気付くと、そこから芋づる式に身体の見方が変わっていくことがあります。
これからどんな発見が生まれるか楽しみです。

夕日

観察記録04

合気の稽古に参加させて頂くようになり、相手と向かい合って技を掛けたり、木刀を持って構えたりするときの、立ち方を指導してもらいます。
立っているときに、足が外に開いてしまっていたり、膝に力が入ってしまっていることにを指摘して頂き、そのことに初めて気付きます。
単に脚を閉じようと、足先から前に向けたり、両膝を寄せようとしても、あちこちに無理な力が掛かります。
別の部位の角度を変えたり、離れた場所に意識を向けたりすることで、力の伝わりが変わることを、技の掛かり方の違いとして体感させてもらいます。
そして、自分自身の中央の感覚と実際の身体の状況は、必ずしも一致していないということを実感するようになります。

普段立っているときにも、そうした偏りがあることに気付き、正座をしたり、椅子に座ったときの、足や膝の向きも意識するようになりました。
自分自身の重心に目を向けるようになり、足の外側に体重が乗り、一部の場所に負担を掛けてしまっていることを自覚します。
重心に偏りがあると、負荷やバランスの移り変わりに対して弱い方向が現れ、それを筋の働きや関節の負担で補って支える必要が生じます。
両手で回り切らないほどの太さの脚であっても、実際には使えていない場所が沢山あることを知ります。
足首だけ、膝だけ、を動かす動作から、呼吸と共に下肢全体が折り畳まれたり、伸びていったりする動きがあることを学びます。
趾から順に動きが伝わると、下肢が体幹に引き寄せられる感覚を得られ、それが骨盤の動きと繋がっていることを感じられるようになります。
また、空気の出入りと同調して、両脚は寄ったり離れたりもし、それらに対応して重心の位置も変化します。
骨盤の締まりや傾きによって、骨盤と大腿骨の接続する向きが変わり、脚を寄せようとしなくても膝が前を向き、重心が中心に近付くことを体験します。

そうした脚が骨盤と繋がって動く働きが、歩行にも表れていることに学びます。
それまで脚の前側を緊張させて足を上げていましたが、下肢を折り畳む動きによって浮かせることで、楽に足を運べることを体感します。
歩いているときの足の運びが、腕の揺れにも影響を及ぼすことに気付き、どういった関係性にあるのか色々と試しながら歩くようになります。
横向きで寝て、下肢と上肢の位置を変えながら、それらが釣り合う関係にあり、バランスが取れた時の心地良さを体験します。
そして、様々な動作を、個々の筋や関節の動きの組み合わせではなく、全身が協調して起こるバランスの変化として見ていく必要性を感じるようになります。

脚の力が抜けた状態を実感できるようになって初めて、それまで長時間立ったり歩いたりしていると、下肢の後面が疲れやすかったことに気付きます。
関節を伸ばしきったり、片脚に体重を乗せたりして、脚を直線的に使ってしまっていることを自覚するようになります。
下肢のバランスが取れる姿勢にあると、重力に伴う落下や地面から受ける反作用はどこにも滞らず、横から見たときに、踵や膝や臀部の丸みが後ろ・前・後ろと交互に向き、緩やかなカーブを描きます。
そして、その波は振れ幅を小さくしながら脊柱を通り、頭部まで繋がります。
足首が噛み合う角度に無かったり、膝を緊張させて突っ張ったり、鼠径部の溝を浅くしたりして、そうしたカーブを無くしてしまっていたことを実感します。

立っているときの足先が、意識しなくても前を向くようになった頃、寝ているときの姿勢も変わるということを体験します。
私はそれまで、仰向けで寝ているときにも、両側の足部が外に開いていましたが、それが、いつの間にか、上向きに近付いていることに気付きます。
足の向きが変わると、寝ているときに布団に触れる面も変化し、脚を伸ばして寝ている時にも、呼吸と同調しながら下肢が動いていることを感じられるようになりました。
そして、そうした働きが全身のあらゆる場所で起こっていることを体験し、呼吸の動きが胸やお腹だけに伝わっているものではないということを初めて実感します。
呼吸と共に骨が動いたり、皮膚がずれたりする様子を観察し、身体の表面の動きと、内部の動きを区別して認識できるようになります。

その後も、「個性」や「特徴」と思い込んで、気にも留めていなかった沢山の「癖」が、変わりうるものだということを、次々と経験します。

観察記録03

身体の変化は、意識の変化と同調します。
私がセンタリング呼吸法やバランス☆運動療法を通して学ばせて頂いているのは、考え方や遊び方、ひいては生き方そのもののように感じることがあります。

私は中高生のとき、様々な科目の授業を受けながら、普遍的な何かを学び続けたいという憧れがありました。
記憶に頼った学習は、学んでいく全ての内容を留めておくことは出来ず、時間が経つと忘れてしまったり、加齢と共に記憶力が低下したりします。
誰かが作った理論は、時代の流れと共に意義が変化し、それまで身に付けてきた知識や技術が役に立たなくなってしまうことがあります。
老荘思想への関心が強かった私は、それを基盤とする東洋医学に普遍的なイメージを持っており、高校を卒業後、鍼灸の専門学校に入学します。
学校では、教科書に書いてある経穴の名前を覚えたり、理論を理解したりと、それまでと何ら変わらない方法で勉強が進んでいきます。
ただ、鍼灸の勉強会に参加したり、治療に関する書籍を読み、実際に素晴らしい治療効果を出されている先生が居ることは知っていたので、このまま仕事を続けていけば、いつかそうした力が養われていくのではないかという漠然とした期待を持っていました。

今ひとつ方向性が定まらないまま、柔道整復の学校に通い始め、そこで御縁を頂いたM岡さんに声を掛けて頂く機会がありました。
最初はよく分からないまま、同級生が集まっての研究会に参加させて頂いていましたが、「奇経療法」をテーマに取り上げてくださったとき、私が鍼灸の勉強会で教わっていた内容と何かが繋がった気がしました。
当時は整理できていませんでしたが、理論として学んでいた経穴や経絡と、現実との間に、リンクするものを初めて感じたのだと思います。
その後、K野先生の主催されている観照塾を紹介して頂き、毎週土曜日に通うようになり、月一回の中心塾にも参加させて頂くようになります。

それまで経験の無かった呼吸法や合気の稽古に取り組む中で、気持ち良く身体を動かすことができ、治療を学ばせて頂くことができ、ブログを読めば駄洒落が満載で、なんと素晴らしい会だろうと感動します。
色々な道具を用いながら、力を抜いて動けるように練習し、それらの特性に合わせて身体を使っていくことを学びます。
身体の緊張が弛むと気持ちも楽になることを経験し、自分自身の身体を学ぶことが、心の在り方とも関わっていることを、様々な形で体験します。
また、会話やブログや書籍を通して、芸術、芸能、スポーツと言った、関心の薄かった分野にも、視野を広げるようになります。
そして、「学ぶ」とか「変わる」ということは、外から与えられる情報からではなく、それに向かう自分自身の内からであることに気付かせて頂きます。

稽古を通して学んだことが、人と人との関わり合いにおいても、共通することを感じるようになります。
人それぞれ、体格も性格も歩んで来た人生も違い、その時々によって調子が変化します。
多くの方に練習の相手をして頂く中で、相対した相手に合わせて力を抜いていくことが出来ると、伝わっていく通り道もあることを体験します。
自分自身の我によって、どこかに力が入っていると、相手を受け入れられなかったり、相手とぶつかったりします。
一方的に受け入れるのでも、一方的に押し付けるのでもなく、お互いが楽に通じ合える関係を築くことと繋がるように感じています。

鍼灸の資格を取り、治療院で働き始めたばかりの頃でも、施術をした後に楽になったと喜んでくださる患者さんがいらっしゃいました。
今よりも、治療の技術も見立ても拙かったと思いますが、治療の効果というものが、それらに因るものだけでは無いように感じることがあります。
人にも物にも元々、お互いに影響を与え合う力が備わっており、治療を学ぶということは、新しく知識や技術を身に付けることではなく、良い方向に導く働きを高めることにあるように思います。
与えられる影響力の大きさには、お互いの相性であったり、病の深さであったり、周りの環境であったりと、様々な要因が絡まり合っています。
そして、それらに広く深く波長を合わせられるようにしていくことが、治療効果の向上に繋がるのではないかと考えています。
そのためには、自分自身の身体や思考の偏りを少なくし、中心に近付けることが必要になります。
周りのバランスの中で、常に自分自身が変化できる位置に居続けることの大切さを学んでいます。

自分自身は不変ではありませんが、何時でも何処でも一緒に居る自分自身は、外界の他のどんな対象を学ぶよりも、普遍的な存在であると言う見方も出来ます。
これからも、様々なことを学んだり、経験する中で、センタリングし続けていきたいと思っています。
そして、私が、御縁を頂いた先生から、心身を観照することの喜びを教えて頂いたように、関わってくださる方に、こうした体験を伝えられるように、精進していきたいと思っています。

 

Template Designed by めもらんだむ RSS
special thanks: Sky RuinsDW99 : aqua_3cpl Customized Version】