成長快調

私は子供の頃、誰かに教わっている様子も無いのに、蜘蛛が美しい形の巣を張ったり、子ツバメが飛び方を覚えたりすることを不思議に思っていました。
妻の出産や、子供の成長に間近で触れ、人も同様に自然に備わった不思議な力を持っているということを実感しています。

出産の前日、妻は夜になって陣痛が起こり始めましたが、助産師さんの指示で自宅で待機し、二分間隔になってから助産院に向かいました。
助産院に着いたのは早朝で、助手の方はまだ来られていなかったので、私が妻の出産の補助をさせてもらいました。
陣痛の合間に呼吸を整えて力を抜き、陣痛に合わせて息を吐きながら骨盤底に向けていきむように指導されていました。
助産師さんが準備をする間、側臥位で横になっている妻の骨盤底と腸骨に、それぞれ手を当てておくように勧められました。
触れている手から、合気体操の亀の動きのように、吸息と共に骨盤が前方に傾いて力が上に吸い上がり、骨盤が後方に傾きながら体幹の中央が上から順に締まっていく働きが起こっていることを感じました。
助産師さんは、陣痛によって子宮が締まっていくタイミングで、身体の持つ下方へ押し出す働きが自然に起こるように誘導されているようにみえました。
私が鍼灸師であることは事前に知っておられたので、次の陣痛が起こるまでの間に下肢にお灸をすることを勧めてくださいました。
上側の脚の京骨穴や、下側の脚の中封穴あたりに八分灸を施しました。
普段、妻の脚は、なかなかお灸の熱が通りにくいことが多いですが、その時は一瞬で反応が起こりました。
子供の頭が見え始めた頃から、姿勢を仰臥位に変え、私は妻の頭の方にあぐらで座り、妻の頭部を手の上に乗せておくように言われました。
陣痛が起こったとき、顎が上がったり頭部が傾いたりしないように指示され、いきむ力が逃げないように繋がる位置で待ちました。
子供の頭の外に現れている部分が、いきむごとに大きくなり、少しずつ子供の姿が見えてきたときは、とても感動しました。
産まれたときには、助産院に着いてから3時間くらい経っていましたが、あっという間だったように感じました。

出産から約二か月が経ち、産まれてきた息子は元気に成長しています。
お腹がすくと母乳を欲しがって泣き出し、お腹がいっぱいになると機嫌よく手足を動かし、余分に飲み過ぎた場合は要らない分だけ口から戻します。
手足を伸ばしたり体を反らせたりして自分で調整し、抱かれているときも居心地の良いように体勢を変え、暑いと感じれば上に掛けていたタオルケットを足で蹴飛ばします。
自分にとって必要なものも余分なものも、全部分かっているんだなぁと感心します。
身体の状態は目まぐるしく変わり、お腹が張ってきたと思えば真剣な顔つきになり、両脚を突っ張って全身を赤くして便を出し、排便した後はすぐに元の状態に戻ります。
この二か月の間にも、身体は日に日に大きくなり、表情や出来ることが少しずつ増えてきています。
そして、その日々の変化の中で、母親と子供がお互いに与え合う連携の精妙さには驚かされます。

そうした出来事は余りにも自然に通り過ぎていくため、自分もそうやって産まれ育てられて来たことを気にも留めていませんでしたが、よく考えれば、驚くようなことが当たり前のように起こっているとも言えます。
そして、その大きな力に対して治療として出来ることは、自然の働きが滞りなく起こっていくように手伝うだけであることを実感します。
これからも、妻と子供と生活する中で、多くのことを学ばせてもらおうと思っています。

息子

総移転

先週から今週に掛けて自宅の引っ越しをしていたのですが、やっと新居での生活環境も整い、一段落してきました。
引っ越し業者が事前に準備してくれた段ボール箱の大半が、本だけで埋まってしまったときは、どうなることかと不安になりましたが、何とか全ての荷物を移動することが出来ました。

箱詰めするために、改めて自分自身の全ての持ち物を見直してみると、しまっていたことさえ忘れていた物もいくつか出てきました。
狭い自宅ではありますが、身体に対する意識と同様に、所有している物や生活している空間に対する意識の分布にも偏りがあったことを感じました。
普段、自宅の中で多くの時間を過ごす場所には、その時々における関心の強いものが集まりやすく、意識が高まっている状態であると言えます。
一方、意識が向きにくいところや目が届かないところは、何が置いてあったか忘れてしまっていたり埃が溜まりやすかったりします。
私は、お菓子のオマケでも思い付いた駄洒落でも麻雀の字牌でも、将来的に使う可能性がありそうなものは、とりあえず置いておくという性分なので、自宅で掘り出し物が見つかることもあります。
持っていることを忘れてしまっているなら、有っても無くても同じだという考え方もありますが、案外そういう物が出てきたときのほうが懐かしさを感じて嬉しかったりするものです。
きっと、そうした普段は意識できていない所有物や空間も含めて、現在の私という存在が形成されているのでしょう。

引越しに際して、すぐに必要としないけれど捨てずに置いておいた意図を思い返すことで、頭の整理にもなった気がします。
過去にしようと思ってまだ出来ていなかった事をいくつか思い出したので、これから挑戦していこうと思っています。

ダイヤモンドゲーム

竹比べ

私の自宅はアパートの一階で、隣の家との間には地面の部分があり、近くの竹林を通じて毎年のように竹の子が生えてきます。
先日、洗濯物を干すためにベランダに出てみると、竹の子が二本上がっているのが見えました。

竹の子がよく上がる年は隔年で訪れますが、今年は、私の近所の竹林は当たり年だったようです。
私はゴールデンウィーク中は実家に帰省していたのですが、自宅に帰ってきてみると、いつの間にやらベランダに一メートルを超える高さの竹の子が何本も生えていたので、慌てて蹴り倒しました。
しばらく目を離していようものなら、破竹の勢いで竹の子は伸びていきます。
毎日、目に見えて成長していく竹の子を見ていると、皮に覆われた小さな竹の子の内側から溢れてくる生命力に感心させられます。

台風や大雪では、大きな樹木でも倒れてしまうことがありますが、竹は柔らかくしなり、それらの力を受け流すため、折れているのを見たことがありません。
硬さと弾力を兼ね備えた性質から、また、内部の空洞や節を持つという独特の構造から、竹は生活に無くてはならない素材として様々な用途に用いられています。

他人事のように竹の子の成長を眺めていて、ベランダが竹林になってしまっても困るので、頃合いを見計らって二本ともスコップで掘り起こしました。
そして、掘った竹の子は、竹の子御飯や野菜炒めの材料として調理し、美味しく頂きました。
突如としてベランダに顔を出してくれる気まぐれな掘り出しものを、来年も楽しみにしておきたいと思います。

竹の子

明石路傍

先週末は、姫路方面を旅行していました。
姫路駅周辺には長い商店街があり、想像していたより賑やかな場所でした。
買い物は特に期待していませんでしたが、商店街の中にある小さな古本屋で、長い間探していた本が見つかったときは驚きました。

商店街を抜けると姫路城が見えてきたので立ち寄りました。
現在、大天守の修理工事をしていますが、外からの工事の様子と、内部に入っての見学はすることが出来ました。
様々な仕掛けや構造上の工夫に関する解説や、姫路城に縁のある品々が展示されており、歴史を知る上で勉強になりました。
天守以外の場所も見所はたくさんあり、立体的な迷路のような造りの中を歩き回るのは楽しいものでした。

翌日は明石に立ち寄り、昼食には明石焼きを食べました。
他の地域で食べたことは何度もありましたが、明石で食べる明石焼きは格別に美味しかったです。
たこ焼きはソースをかけて食べるに限ると思っていましたが、タコの良さを活かすならダシで食べるほうが優れた面もあり、勝手な思い込みを改めることとなりました。

駅周辺を散策したあと、明石城を見学しました。
まるで城の見学を目的として旅行を計画したかのように誤解されそうですが、たまたま城下町が重なっただけで、私はそれほど城に関心があるわけではありません。
ただ、日本の城はデザインとしては好きで、敵の攻撃を防ぐ機能性や長い年月や災害にも耐える安定性を備えた素晴らしい建築物だと思います。
明石城は天守も無く姫路城と比べると簡素なつくりでしたが、海まで見渡せる高台に建っており、そこから眺める景色は素晴らしいものでした。

かなり歩き回ったのでなかなか疲れましたが、垢あり、城あり、苦労なしの充実した休日を過ごすことが出来ました。
やはり旅行は良いものだと改めて思いました。

明石城

感謝観劇

今日は、奈良市にある音声館で行なわれた「即興劇団 一陣の風」による『ラブラプソディ vol.1 -指輪のゆくえ-』を観に行きました。
「一陣の風」の座長を務めておられるOTさんは、私が柔道整復の専門学校に通っていたときの同級生で、在学中は色々な面でお世話になりました。
以前にもOTさんに声を掛けて頂いて、「一陣の風」の劇を観に行ったことがあります。
前回の演目は『Romeo and Juliet』で、日本語版と英語版という二本立てを、楽しく観させて頂いたことを覚えています。
今回は、二人の男女、机と二脚の椅子という舞台設定や、「指輪」という共通のテーマの中で、全く異なる三通りのストーリーが展開されました。
脚本や演出、また、キャストの皆様の演技が素晴らしく、いずれの作品も完成度の高いものでした。

『つわぶき』
月日の経過を、暗転を使わずに出演者の出入りによって表現する演出が見事で、最初から最後まで緊張感が途切れることなく引き込まれました。
会話やストーリーに含まれる伏線が丁寧に回収され、また、途中の悲劇的な展開も最後は丸く収まり、とても後味の良い劇でした。

『Vegetarian Lovers』
とにかく男性の台詞回しや演技が面白く、のっけから思わず笑ってしまうシーンが沢山ありました。
全く性格の違う女性との掛け合いも巧みで、二人の関係の変化を最後まで楽しく観ることが出来ました。

『Grounds for』
なかなかシリアスな展開で、最後まで女性の真意が分からないため、ハラハラしながら観ていました。
最終的には、相手を気遣うどちらの考え方も理解でき、思い切り感情移入してしまいました。

OTさん、および劇団員の皆様、今日はありがとうございました。
素晴らしい公演を観させて頂き、また、公演後は奈良駅周辺を散策し、おかげさまで楽しい休日を過ごすことが出来ました。
勤労の中での精力的な活動に、心からの感謝を申し上げます。

風の紅葉

先週末は、一泊二日で金沢を旅行していました。
一日目は、主に金沢市内を散策し、金沢城兼六園に立ち寄りました。
金沢城はもともと加賀藩主だった前田利家の居城で、兼六園は城のすぐ近くに造られた庭園のことを言います。
残念ながら、城や周辺の石垣は明治時代に大半が火災で焼失してしまったため、近年になって復元された部分が多く、外観上の風情には欠けました。
城や門の内部に入ると、攻め入ってきた敵軍を撃退するために考えられた様々な工夫をみることが出来て面白かったです。
建物の構造自体がそれを想定して設計されており、三方向から敵に攻撃が出来るように造られた門や、石垣を登ってきた敵に石を落とす仕組みなどが解説されていました。
建設の当時から耐震構造も考えられており、菱形の柱を組み合わせて木材だけで骨組みを造る技術には感心しました。
石垣も造られた時代や用途に応じて積み方が異なることを知り、それを見るだけで時代背景を想像できることが分かりました。

その後、金沢21世紀美術館で開催されているコレクション展「目には見えない確かなこと」を観に行きました。
作品そのものよりも、それと対峙したときに起こる個々の感情や記憶といった主観をテーマにするという、一風変わったコンセプトで構築された展覧会でした。
他の人も同じように感じるとは限りませんが、水の泡を水中から写した写真を展示してある部屋では星空を見上げているように思えたり、斜めの壁に黒い楕円が描かれた部屋では壁に向かって自分が滑っていっているような気になりました。
部屋全体で主題を表現されており、視覚だけでなく聴覚、触覚、嗅覚といった五感に訴えることで、一般的な展覧会とは少し違った感覚を味わうことが出来る構成になっていました。
また、美術館そのものが一つの作品として考えられているため、周辺には多くの現代美術が配置されており、特別展以外も楽しめました。

二日目は特に目的地を決めず、金沢周辺の駅で適当に降りては、ぶらぶらしていました。
山の木々も色付いてきており、周りの景色を見ながら暑くも寒くもない良い気候の中で歩くのはとても気持ち良いものでした。
地元の人にとっては何の変哲もない風景に違いなく、特筆すべきことはありませんが、「見たことのない景色」のなかを歩き回ることができ良い気分転換になりました。

金沢城

白愛主義

ユトリロ展

昨日、美術館「えき」KYOTOで開催されている「モーリス・ユトリロ展」を観に行ってきました。
ほとんどがユトリロの地元モンマルトルの町並みを描いた風景画で、それらの作品を観ていると、私が旅行でパリに行ったときに実際に歩いた風景を思い出して感動しました。
私が特に好きだったのは、「雪の通り」という絵で、ずっと遠くまで両側に家が立ち並ぶ構図と、冬を感じさせられる色彩が印象的でした。

今まで画集などで見たユトリロの絵は、建物の壁が単色でのっぺりしているイメージがあったのですが、実物を観てみると、壁の塗りにも厚みを感じられ、印象が大きく変わりました。
ユトリロには「白い壁」へのこだわりがあり、絵画に本物の漆喰の粉をまぶしていたこともあったという話を聴き納得がいきました。
たとえ印刷の技術が進んだとしても、作品の質感というものは実際に観てみないと伝わってこないということを改めて感じました。

絵画は時系列で並べられ、ユトリロの作品に関する説明も詳しく紹介されていました。
ユトリロは、若い頃に画家としての地位は確立したものの、生涯を通じて、複雑な家庭事情や極度のアルコール中毒に翻弄され、順風満帆という言葉とは程遠い人生を送っています。
ユトリロの作品には、風景写真からの写生や、自作品の模写が多く含まれているのですが、そうした作風になっていった経緯がよく分かりました。

ユトリロに限らず、著名な画家や音楽家のエピソードを聞くと、壮絶な人生を送った芸術家が多いことに驚かされます。
多くの人々に感動を与える作品を産み出すに至るまでの時間や労力は、たとえ才能が傑出していたとしても、並大抵ではないということでしょう。
芸術においては特にそれが顕著ですが、「専門家を志す」ということは、多かれ少なかれそうした部分を含んでいるのかも知れません。

重い月

棟方志功

昨日は大丸ミュージアムKYOTOで行なわれている「棟方志功 祈りと旅」を観に行きました。
棟方志功といえば仏教を題材にした版画のイメージが強かったので、もっと固い内容かと思っていましたが、日常を描いた風景画や人物画も多く、絵画として単純に楽しめました。
人物画では人間が生き生きと描かれており、どれも表情が豊かで、身体からは枠に収まりきらない力強さを感じました。
風景画では、現代版の『東海道五十三次』を目指して作成された『東海道棟方板画』が特に良かったです。
東海道を旅する中で見かけた要所要所の風景が、色彩豊かに表現されており、とにかく色使いが綺麗でした。
一部分を見ると何が描かれているのか分からないほど荒々しいタッチでも、全体として眺めると風景の雰囲気がよく伝わってきて感心しました。

夕方から名月管絃祭が開催されるということだったので、下鴨神社に移動しました。
平安時代には、「中秋の名月」に観月の会と併せて、豊作祈願を雅楽で表現し奉納するという風習があったようです。
日が暮れると、平安装束を身に着けた人々による、尺八や琴といった管絃の演奏や、王朝舞という舞踊が行なわれました。
演奏や舞踊が行なわれている建物の中だけ、時代が遡っているような不思議な空間でした。

曇り空のため残念ながら月はほとんど見えませんでしたが、演奏を聴きながらゆっくりとした時間を過ごすことができました。
都会で生活をしていると、四季に対する関心が希薄になりがちですが、季節を楽しむ余裕を常に持っていたいと思いました。

刈る田撮り

先日は連休だったので、実家に帰省していました。
私の両親は農業をしており、今回はちょうど稲刈りの時期だったので、私も作業を手伝いました。

現在は農業も機械化が進み、多くの農作業を農業機械の力を借りて行なうことが主流となっています。
また、除草や害虫駆除を目的として農薬を使用することが一般的です。
しかし、私の両親は、稲の苗を育てるところから、田植え、除草、稲刈りに至るまで全て手作業で行なっています。
稲刈りにおいては、稲を鎌で刈り取り、束にして縄でくくり、稲木の側まで運び、それを架けていくというのが一連の流れです。
それぞれ分担して行ないますが、中腰の姿勢で長時間の作業をしたり、稲の束を抱えながら何往復も運んだりと、なかなかの重労働です。

そうした手間は掛かりますが、機械を使わずに手作業で稲刈りを行なうことには優れた点が沢山あります。
脱穀した米を機械で急速に乾燥させるのではなく、時間を掛けて天日干しすることで、米の品質を低下させることなく保存することができます。
また、稲木に逆さ向きに架けることで、稲の茎に含まれる栄養分が穂のほうに下りていくため、おいしい米ができると言われています。
そして、脱穀後に残った藁は、農作物を育てるため、日用品を作るため、もしくは火をおこすためといった様々な用途で役立てられます。

今年の夏は気温の高い日が続き、暑さや水不足による不作が心配されていましたが、それほど大きな影響はありませんでした。
まだ少し先のことになりますが、新米を食べられる日が楽しみです。

田んぼ

ソラ見レド

昨日は、ZeppOsakaで行なわれたスピッツのライブ「Spitz JAMBOREE TOUR 2010」に行ってきました。
本来は7月に行なわれる予定だったのですが、メンバーの体調不良により延期し、その振り替え公演が昨日ありました。
チケットを買ってからかなり待ちましたが、その甲斐があったといえる良いライブでした。

私は中学生の頃からずっとスピッツが好きで、今でもよく聴いています。
ライブでは、馴染みの曲から未発表の新曲まで、およそ二十曲が演奏されました。
CDで何度も聴いている曲でも、ライブで観ると印象が変わり、また聴きなおしたいと思う曲がたくさんありました。
スピッツのライブでは、過激なパフォーマンスや派手な演出は全くありませんが、その分じっくりと曲を聴くことが出来ました。
途中、曲のリズムに合わせて身体が前後や左右に自然に揺れていることに気付きました。
この状態を覚えておけたら合気体操に活かせるのではとの考えが頭をよぎりましたが、それは欲張りというものでした。

台風の影響で再び延期になるのではないかと心配されていましたが、「Spitz JAMBOREE TOUR 2010」は無事終了しました。
アンコールで演奏された『夏が終わる』という曲が、特に印象に残りました。

秋空

夏の妖気

妖怪図鑑

先日、兵庫県立美術館で行なわれている「水木しげる・妖怪図鑑」を観に行きました。
以前から水木しげるの漫画が好きで、よく読んでいましたが、原画を観るのは初めてでした。

天狗や河童といった誰もが知っている妖怪から、私が初めて聞く妖怪まで、たくさんの妖怪の絵が展示されていました。
すでに見たことのある絵もありましたが、やはり原画で観ると妖怪の迫力が全く違いました。
水木しげるの漫画を読んでいるときも感心しますが、背景が緻密な点や線を用いて丁寧に描かれており、それが非現実的であるはずの妖怪の存在にリアリティを持たせていました。
全ての妖怪に解説が付いており、その内容を読みながら順番に観ていきました。
妖怪の絵だけではなく、『ゲゲゲの鬼太郎』の漫画の原画や、原寸大?の妖怪の像も展示されていました。
また、水木しげるに影響を与えたであろう、歌川国芳や月岡芳年といった江戸時代の画家による妖怪の絵も展示されており、こちらも非常に良かったです。

昔から、身の回りで不思議なことが起こると、それを単なる偶然として片付けるのではなく、何らかの力が働いて起こったものであるという考えから、妖怪の存在が認められてきたのでしょう。
それが、一人の想像として終わるのではなく、口伝えや書籍、あるいは絵画として、これほどたくさん残っていること自体が面白いと思いました。

展覧会は、夏休みということもあり、親子連れが多く大盛況でした。
生まれたときから都会に住んでいると、妖怪という存在に真実味を感じる経験をすることは少ないのではないかと勝手に思っていましたが、本当に居るのかどうかなど考えることも無く楽しんでいる子供達の姿を見て嬉しく思いました。
そして、妖怪という不可思議な存在を、ここまでメジャーにした水木しげるの影響力の大きさを改めて感じました。

絵嘗める室

印象派とモダンアート展

昨日は、天保山のサントリーミュージアムで行われている「印象派とモダンアート展」に行ってきました。
会場に入ってすぐに、モネの連作がありました。
上のチラシの絵もその一つですが、ロンドンのウォータールー橋を、天気や時間帯を変えて何作も描き分けている作品です。
私は、その中では「霧の中の太陽」という作品が一番好きでした。
印象派という言葉の由来になったと言われる「印象、日の出」と同じような雰囲気の作品で、海やそこに映る光の表現が素晴らしかったです。
目を離すのが惜しい感じがして、近付いたり離れたりしながら、しばらく観ていました。
有名な画家の作品がたくさんありましたが、私は絵画では特に風景画が好きで、他にはピサロやシスレーの作品も良かったです。
モネの連作は見渡せるように円形に、様々な画家による花の絵は個別に見られるように狭い通路に、といったように絵画の印象を際立たせるための配置にも様々な工夫がみられました。
ただ、印象派から現代芸術までの変遷を辿るというテーマだから仕方ないとは言え、前半の印象派の絵画のインパクトが強すぎて、どうしても後半の現代絵画が物足りなく感じました。
写真の発明により写実主義から印象主義へと変化し、その後、絵画という枠組みからの脱却のために、更にそこから色々な試みが行われていることは分かりましたが、特に感銘を受ける作品はありませんでした。
結局、もう一度モネを始めとする印象派の絵画を観たくなり、また最初から観なおして帰りました。

その後、隣にある海遊館にも行きました。
小学生のときに一度連れて行ってもらったことがあるのですが、全く印象が変わりました。
その頃はサメやイルカなど体が大きい動物、動きが派手な動物に目がいっていた気がしますが、昨日は、どちらかというと動きが少ない動物を見ているのが面白かったです。
海底や岩陰を見ると、意外に寝ている魚がたくさんいました。
クラゲの泳いでいる様子を見ていると、伸縮の動きや、その時の緩急のつけ方がヒトの呼吸と似ている感じがして面白かったです。
余談ですが、クラゲが逆さま向きで岩に付くようになったものがイソギンチャクだということを、初めて知って驚きました。
クラゲやイソギンチャクは刺胞動物というそうで、同じような体の構造をしているようです。
動物の解説も、ヒトの解剖学や生理学と照らし合わせてみると、似ている点も全く違う点もあり、色々と新しい発見がありました。

なかなかの悪天候でしたが、そのおかげで美術館も海遊館もすいていたので、ゆっくり観ることが出来ました。
自然の風景や動物も、それを画家の目を通して描かれた絵画も、どちらも素晴らしいと思いました。

十分五十三猫

にゃんとも猫だらけ展

昨日は、美術館「えき」KYOTOで行なわれている「にゃんとも猫だらけ展」を観に行きました。
私は猫と浮世絵のどちらも好きなので、駅に貼られていたチラシを見たときから、ぜひ行ってみたいと思っていました。
展覧会では、歌川国芳の作品を中心に、猫を題材に扱った浮世絵がおよそ120点集められていました。
看板に偽りは無く、写実的に描かれている猫もあり、擬人化されている猫もあり、モチーフとして用いられている猫もあり、にゃんとも猫だらけな展覧会でした。
その全てに共通していたことは、よく猫の表情や動作を観察して描かれているということでした。
見たことがあると思わず納得してしまうようなシーンが多く、猫はもちろん、それに関わっている人も、本質は少しも変わっていないということがよく分かりました。

私は、歌川国芳の「猫飼好五十三疋」が遊び心満載で面白かったので、長いあいだ観ていました。
歌川広重の代表作である「東海道五十三次」に出てくる地名を駄洒落で置き換え、それを猫の絵で表現している作品です。
例えば、川崎は「蒲焼」で猫が蒲焼の匂いを嗅いでいる絵、四日市は「寄ったぶち」でぶち猫が何匹も集まっている絵、という具合です。
五十三ヶ所もの地名を全て網羅しているので、当然、強引な置き換えもたくさんありますが、これほどの無謀な作品に挑戦し完成させてしまうところに、国芳の猫に対する並々ならぬ愛情を感じました。

画家や作風ごとに絵画が展示されることは多いですが、こうしたテーマに絞って作品を集める展覧会も面白いと思いました。
動物を題材として扱った浮世絵はたくさんあるので、「わんだふる犬だらけ展」や「ぶったまげ豚だらけ展」も開催されることがあれば、是非行ってみたいと思います。

京一日

昨日は、午前中から京都の大徳寺に行ってきました。
大徳寺は禅宗だけでは無く、茶の湯などの日本文化にも大きな影響を与えたため、様々な文化財が所蔵されており、一休宗純や千利休といった多くの歴史上の人物と縁が深いことでも知られています。
境内には多くの関連寺院があり、今回は千利休の書院や茶室があることで有名な高徳院に訪れました。
あいにくの雨天でしたが、それも手伝ったのか非常に空気が澄んでいて、縁側に座って庭を見ているのが気持ち良かったです。
院に着くまでの石道にも、院内の庭にも、両側に竹ともみじが立ち並び、地面には苔が敷き詰められ、視界が薄緑色で一杯になる素晴らしい景観でした。
今の季節も綺麗でしたが、もみじが紅葉する秋に行くのも、また良いだろうと思います。

昼食は、大徳寺の側にある精進料理の店に行きました。
精進料理では動物性の食材は使わないため野菜中心ですが、その分、味付けや盛り付けに様々な工夫がされており、とても美味しかったです。
仏教の食事面での制限を苦痛に感じることが無いように考え出された料理が、日本食の発展に大きな影響を与えてきたということがよく分かりました。
デザートの和菓子には、店の名物である大徳寺納豆が添えられていたのですが、これはやや癖のある独特な味でした。

その後、出町柳駅に移動し、「風博士と行く一箱古本列車 in エイデン号」というイベントに参加しました。
風博士」というのはミュージシャンの名前で、定住所を持たず、ライブとCDの売り上げだけで日本各地での活動を続けているとのことです。
叡山電車の出町柳駅から、終点である八瀬駅までの間、貸し切りの電車内で演奏をしてくれました。
音もメロディーも綺麗な曲ばかりだったので、電車内という狭い空間で聞いていても騒々しく無く、心地良い時間を過ごすことが出来ました。
残念ながら、古書販売のほうは思っていたよりも規模が小さく、私が欲しい本は特に見つかりませんでした。
正直なところ、「古本」という文字に引かれてよく分からないまま参加したのですが、電車二両と終点駅のホームを貸し切ってライブや出店を行なうという斬新なイベントで、なかなか楽しかったです。

京都には良い名所や店やイベントがたくさんあり、それが天気により季節により、また自分自身の変化によっても印象が変わるので、気軽に遊びに行ける場所に住んでいることを嬉しく思います。

風博士と行く一箱古本列車

素晴らしいセンス

扇絵名品展

昨日は、大阪市立美術館で行なわれている「鴻池コレクション扇絵名品展」を観に行ってきました。
最初にチラシを見たときはどういう展覧会なのかピンと来ませんでしたが、「富嶽三十六景」などの浮世絵で有名な葛飾北斎の作品が展示されているということで興味を持ちました。
会場に入ると、北斎以外にも歌川国貞や酒井抱一といった有名な画家が絵を描いた扇が、およそ300点も展示してありました。
今まで扇を芸術品として意識したことは無かったのですが、これほど質が高い作品が多いと、扇いで風を起こすという本来の目的から離れても存在するであろう理由が分かりました。
どれも、扇という特殊な形状を生かした構図や色彩で描かれている素晴らしい作品ばかりでしたが、私は中でも北斎の「猪口とほおずき」が気に入りました。
扇の右寄りに小さな猪口があり、その中に浮いている赤いほおずきの実が、猪口の表面に描かれた精密な山水画の中の山に沈む太陽のように見えるという作品です。
構図といい繊細な筆づかいといい、絵の上手さは言うまでもありませんが、そうしたアイデアをさりげなく入れてあるところも私が北斎を好きな理由の一つです。
私にとっては初めて聞く名前でしたが、松本交山の「鶴/亀」や原羊遊斎の「蝶」も見た瞬間に引き付けられるものがあり、また好きな画家が増えました。
美術館に行くと、好きだった作品の絵はがきを買うようにしているのですが、今回は私が気に入った絵がどれも売られていなかったことは残念でした。
しかし、私が考えていた「絵画」の概念の外にも素晴らしい作品がたくさんあることを実感させてくれた良い展覧会でした。

 

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