眠肝心

いつの間にか、朝夕が冷え込む季節になって来ました。
朝になって目が覚めても、布団から一歩踏み出す勇気を持てずに葛藤している方も多いのではないかと思います。

「眠り」というのは何とも気持ちの良いもので、私はついつい睡眠時間が長くなる傾向にあります。
私は生来の怠け者ではありますが、それだけが理由で長時間の睡眠を取っている訳ではありません。
むしろ、次の日に怠けずに活動できるように、しっかりと寝るようにしていると言っても良いでしょう。
「寝れば寝るほど色が変わる」という有名な言葉がありますが、気持ち良く目覚めた朝は、頭がスッキリとし、身体は軽く、周りの景色も鮮やかに見えるように感じられます。
睡眠不足であると、明らかに頭の回転や身体の動きが鈍っているのを実感します。
すべきことが分かっていても、今ひとつやる気が出なかったり、身体を重く感じたりします。
誰かと話していても、的確な返答を思い付かなかったり、いつも以上に呂律が回っていないように感じます。

睡眠には、脳や骨格筋を休ませることにより、身体面や精神面での疲労を回復させる役割があると言われています。
特に、目を閉じることにより、ヒトが外界から得ている情報の大半を占めるといわれる視覚を遮断することが、脳を休ませる上での大きな意味を持つようです。
睡眠は内分泌系や免疫系にも関連し、また、体内時計の調整にも大きな影響を与えていると言われています。

そうした小難しい理由など考えることも無く、私達は布団に入ってしばらく時間が経つと自然に眠っています。
最近、私は「考えずに行なっている行為」に関心があるのですが、「眠り」はその最たる例であるように思います。
翌日のイベントに備えて早めに寝床についたのに、却って睡眠不足になったというような経験は誰しもあると思います。
「寝よう」という意志が強すぎると寝付けなくなり、それに対する焦りの感情が湧き上がってくると余計に眠れなくなってしまいます。
さらに、「眠り」とは一体何なのかという難題を真剣に考え始めるような事態に陥ると、もはや眠ることは困難になります。
難しいことは考えずに、瞼の後方辺りから起こり頭全体に広がっていく「眠気」に身も心も任せていれば、気付いたときには朝になっているものです。

文章が長くなってしまったばっかりに、ここまで読んで頂いた方は、すでに眠たくなってきていることでしょう。
その眠気が、明日の心地良い目覚めに一役買ってくれたなら幸いです。

雲海

体験記01

センタリング呼吸法セミナー 2010.10.24
健康維持互助会の終了後、今月から開始された「春風堂 センタリング呼吸法セミナー」に参加させて頂きました。
最初にレッスンを受けるうえでの要点を教えて頂いてから、参加者が順番に鏡の前に立ち、お互いの姿勢を観察しました。
それから、畳の上に仰臥位で寝て、その時点での自分自身の身体の状態を感じてから、腹式呼吸の観察に入りました。
私は腹式呼吸法に関して、別の機会に教えて頂いた事が何度もあったのですが、下腹部まで充分な吸気を入れることがなかなか上手く出来ませんでした。

それを改善するために、膝関節を屈曲したり、さらにそこから踵あるいは爪先を上げたりと、姿勢を変えて変化を感じてみるように指導して頂きました。
膝関節を曲げることで、吸気時の大腿部の力が抜けやすくなり、骨盤の動きやそれに伴う体幹の動きが観察しやすくなるように感じました。
また、私の最大吸気時におこっている骨盤の傾きと、本来の可動域との間には、まだ大きなズレがあることが分かりました。

それから、両季肋部に指先を当て、肘の位置を変化させながら、呼吸がしやすくなるかどうかを観察しました。
太極棒の持ち方と同じように、無理な力が入らない姿勢があり、それが呼吸もしやすい姿勢であることが分かりました。

最後に、寝た状態あるいは立ち上がった状態での姿勢がどのように変化したかを確認しました。
私は、骨盤を後傾する際の腰部の緊張が緩和され、下腹部への空気が入りやすくなったように感じました。
また、参加者の方の姿勢を見ると、最初に鏡を見て観察したときと比べて、大きく姿勢が改善されていたことに驚きました。

M岡さん、そして、アシスタントとして指導して頂いたKMくん、K元くん、先日はありがとうございました。
私が合気観照塾や健康維持互助会を通じて学んでいる内容の、基礎となるべき呼吸法を教えて頂き勉強になりました。
来月も是非よろしくお願いします。

活動報告07

健康維持互助会 2010.10.24
昨日の健康維持互助会は、K元くんの指導により行ないました。
最初は、前日の観照塾で行なった「太極棒のメニュー」のおさらいをしました。
良い姿勢を身に付けるための過程として、今までに教わったやり方からあえて外して動作を行なった場合に、どのような違いがあるかを観察しました。

まず、「雑巾絞り」の動作をする際に、両足の踵を直線状に並べるのではなく、両脚を広げたり、交差させたりして変化をみました。
実際に行なってみると、両足の間隔が広くても狭くても骨盤を締められず、本来の目的である体幹を絞る動作が実現できないことが分かりました。
他のメンバーが行なっている様子を観察してみても、足の位置が悪いと、重心のバランスが崩れていたり、太極棒を下ろす位置が側方に逸れてしまっているのがよく分かりました。

続けて、自分の胸の前で太極棒を持つ場合に、手の持ち方や肘の高さを変えると、どのような変化があるかを確認しました。
私は、手関節が掌屈していたり、肘が下がっていることが多く、それらを改善すると肩の力が抜け、安定感も増すことが分かりました。

そうした練習で確認した良い位置を、太極棒を持たずに再現する練習を行ないました。
相手の腕を両手で把持して、「実感が無い」方向を探りながら、首まで繋げる練習をしました。
「太極棒」から「腕」に変わった途端に、手を形状に合わせたり、両手の動きを同調させることが出来なくなり、持つことの難しさを感じました。
「太極棒のメニュー」を形として身に付けるのではなく、もっと本質を意識しながら練習していくことが必要であると思いました。

今回の勉強会で、先輩方の見本や教えて頂いた内容を、そのまま実践するだけではなく、一つ一つの動作を自分自身で検証してみることの大切さを知りました。
そうして得た経験が、自分自身の身体の使い方を見直す際や、他の人にアドバイスをする際に役立つことが分かりました。
その重要性に気付けるようにテーマを立て、勉強会の準備および指導をしてくれたK元くん、ありがとうございました。

今月の健康維持互助会ではK元くんが指導を行なってくれたので、予定を変更して、KMくんの企画担当は来月になります。
改めて準備をよろしくお願いします。

感想文31

観照塾 2010.10.23
今日の観照塾では、相手との接点において「付ける」練習をしました。
母指で手掌を押すという動作でも、単に圧力で押すのではなく、「付ける」ことで身体全体を押されているような感覚が生まれることが分かりました。
そのためには、母指による「攻め」とともに、他の四指による「引き」とその方向が相手の首まで繋がっていることが重要だと分かりました。
それを応用しながら、坐位で向かい合い、相手が縦向きに持った太極棒の中央を片手で握り、相手のバランスを後方や側方に崩す練習もしました。
「握る」という動作による、手の皮膚がわずかにずれる程度の変化であっても、上手く「付ける」ことが出来ていると、それだけで相手の身体の特定の経絡を伸ばせることが分かりました。
その状態で、太極棒の上端を引いている紐を辿っていくようにイメージをすると、動かしているのが自分なのか相手なのかが曖昧になるような不思議な感覚がありました。
いかなる方向であっても、その状態を追っていくためには、骨盤や股関節といった体幹の動作が自在に行なえることが不可欠であることが分かりました。
まだ、上肢と体幹の動きの連動が上手く出来ないので、太極棒を動かしながら練習しておきたいと思います。

本の紹介07

美術解剖学

『入門 美術解剖学』

著者 高橋彬
発行所 医歯薬出版株式会社

芸術家が人体を表現する上で必要とされる解剖学的な知識を、骨格系と筋系を中心に解説してあります。
私が医療系の専門学校で学んだ解剖学と異なる点は、人体における運動器系を、年齢・性別・人種などによる「差」や他の動物との「違い」に主眼を置いて書かれていることで、解剖学の勉強としても新しく知ることが多くありました。
また、絵画や彫刻といった作品において、美術解剖学的な視点から見た場合に人体がどのように表現されているか、多くの作例を挙げて説明されています。
それらを見ると、人体を解剖学的に正確に写し取っている作品もあれば、造形としてより自然にあるいは美しく見せるために、あえて実際とは異なる表現をしている作品もあることが分かります。
人物を題材とした芸術作品を観る際には、そうした工夫に目を向けてみるのも面白いと思いました。

白愛主義

ユトリロ展

昨日、美術館「えき」KYOTOで開催されている「モーリス・ユトリロ展」を観に行ってきました。
ほとんどがユトリロの地元モンマルトルの町並みを描いた風景画で、それらの作品を観ていると、私が旅行でパリに行ったときに実際に歩いた風景を思い出して感動しました。
私が特に好きだったのは、「雪の通り」という絵で、ずっと遠くまで両側に家が立ち並ぶ構図と、冬を感じさせられる色彩が印象的でした。

今まで画集などで見たユトリロの絵は、建物の壁が単色でのっぺりしているイメージがあったのですが、実物を観てみると、壁の塗りにも厚みを感じられ、印象が大きく変わりました。
ユトリロには「白い壁」へのこだわりがあり、絵画に本物の漆喰の粉をまぶしていたこともあったという話を聴き納得がいきました。
たとえ印刷の技術が進んだとしても、作品の質感というものは実際に観てみないと伝わってこないということを改めて感じました。

絵画は時系列で並べられ、ユトリロの作品に関する説明も詳しく紹介されていました。
ユトリロは、若い頃に画家としての地位は確立したものの、生涯を通じて、複雑な家庭事情や極度のアルコール中毒に翻弄され、順風満帆という言葉とは程遠い人生を送っています。
ユトリロの作品には、風景写真からの写生や、自作品の模写が多く含まれているのですが、そうした作風になっていった経緯がよく分かりました。

ユトリロに限らず、著名な画家や音楽家のエピソードを聞くと、壮絶な人生を送った芸術家が多いことに驚かされます。
多くの人々に感動を与える作品を産み出すに至るまでの時間や労力は、たとえ才能が傑出していたとしても、並大抵ではないということでしょう。
芸術においては特にそれが顕著ですが、「専門家を志す」ということは、多かれ少なかれそうした部分を含んでいるのかも知れません。

感想文30

観照塾 2010.10.16
昨日の観照塾では、「太極棒のメニュー」の動きを応用した投げ技を学びました。
私は、主に太極棒を持った状態で練習しましたが、それでもなかなか上手く技を掛けることが出来ませんでした。
相手に持たれていても基本は同じということを頭で分かっていても、呼吸で上げられていない、下半身と連動していない、といった指摘を受けることが多く、練習不足を痛感しました。
また、太極棒の持ち方が、身体全体のバランスに大きな影響を及ぼすことを教えて頂きました。
太極棒がどのような向きであっても、手の形がしっかり出来ていると、吸気時の肋骨の側面のふくらみと同調して太極棒を引き伸ばす力が生まれ、上肢が自然に上がることが分かりました。
その状態で肘関節や肩関節に無理な力が掛からず、なおかつ丹田と繋がっている姿勢というのは限られており、良い姿勢で太極棒を持てている場合は、相手が両手で肘関節を屈曲しようとしてきても、楽にその姿勢を保つことが出来ました。
今まで「身体を細くする」という状態がよく分かっていなかったのですが、息を吐くときに良い姿勢を保ったまま重みだけを中央に落とすことが出来ると、自分の周りの空間を狭い範囲に絞って太極棒あるいは身体を動かしていけるという感覚がありました。
それを太極棒よりも更に細い鍼に用いることの難しさも理解出来ましたが、これから鍼治療を行なう際には意識していきたいと思います。

棒操者

昨日は、M岡さんの自宅にお邪魔して、「太極棒のメニュー」を改めて教えて頂きました。
「太極棒のメニュー」において、いずれの動作を行なう場合にも共通する前提条件があり、それらを重点的に教えて頂きました。
加えて、私が先週の観照塾で曖昧にしてしまっていた部分もたくさん埋めて頂きました。

観照塾でも教わりましたが、上肢の動きが下肢の動きと連動していることが重要で、まず股関節を動かす練習をしました。
私は大転子を寄せる動作というのが上手く出来なかったので、太極棒の両端を大転子、中央を恥骨結合に見立てて練習しました。
両側の大転子と、太極棒を持つ両手あるいは両肘が中央に寄ったときは、全身の皮膚の緩みが減少し、その分だけ上下方向に身体が伸びるような感覚がありました。
その状態が途切れないように運動を続けることが出来れば、股関節を締めたまま、上肢の動きとの連動を保てることが分かりました。
体幹の回旋の動きを、脊椎ではなく鼠径部で行なうという練習も、引き続き行ないました。
椅坐位で行なったほうが鼠径部を締める動作を感じやすく、思っていたよりも後方の仙骨の辺りから引くような大きな動きであることが分かりました。

そして、動作を呼吸と同調させることも重要で、呼吸によって太極棒を上げる練習を並行して行ないました。
私は胸骨が前方に傾く姿勢になっていることが多かったのですが、充分な呼吸を行なうためには胸骨の角度が重要であることを教えて頂きました。
顎と胸骨を近付けるようにして胸骨下部が起きた形になると、胸部への空気がずっと入りやすくなりました。
息を吸うことによって太極棒を上げ、下げるときには息を吐くだけでなく、より胸骨を上げる意識で行ないました。
胸骨が上がる反作用によって太極棒に体重が乗り、そのときは今まで感じたことが無いほど、両側の胸鎖乳突筋が収縮している実感がありました。

また、私は胸部まで太極棒を上げた後、前方へ押し出していくまでの方向の切り替え方がよく分からなかったのですが、それは呼吸が通る経路を変えることで行なえることを教えて頂きました。
腹部から肺経を上がって来た空気が、肩井あたりから肩甲骨の内側を通って、小腸経が伸びていくイメージで上肢を前に出していきました。
そうした意識により、鎖骨が緩み、身体前面の動作から肩甲骨を始めとする後面の動作に自然に切り替わることが分かりました。
最も上肢を高く上げた位置では、呼吸を保ちながら手関節を背屈させることで、肘が下がらないようにすることも重要であることが分かりました。

今回は、今まで意識して動かしたことの無い動作が多く、思わず「しんどい」という言葉を発してしまうほど疲労を感じました。
私が今まで「自分にとっての楽な動き」に置き換えるために、気付かない間に様々な動作を切り捨ててしまっていたことがよく分かりました。

M岡さん、昨日は「太極棒のメニュー」を中心とした丁寧な指導をして頂き、ありがとうございました。
私が行なっていた動作の問題点を一つずつ改善して頂き、多くの感覚を得ることが出来ました。
おかげさまで太極棒を動かす上でのとっかかりが出来ましたので、これから練習していきたいと思います。

感想文29

観照塾 2010.10.09
昨日の観照塾では、「太極棒のメニュー」を最初から順番に教えて頂きました。
今回は、前後左右上下に加えて太極棒を回転させるといった動きもあり、まずは基本的な動作が出来ていないと先に進めないことが分かりました。
太極棒を常に自分の動きと繋げておくためには、太極棒の中心を壇中と一致させる意識が必要であることが分かりました。
また、太極棒の両端を大転子に見立て、前後の動きでは両方の大転子間を狭めるように、左右の動きでは移動方向と反対側の大転子を寄せるように、股関節の動きによって身体を動かす練習をしました。
私は体幹の回旋を、股関節ではなく、主に脊椎を捻る動作で行なっていることを指摘されました。
腰を落とした姿勢で行なうと、鼠径部を動かすことが出来ていないことが、よりハッキリと分かったので、それを改善するための運動を重点的に教えて頂きました。
両脚を伸ばしたままの坐位で前や後ろに歩いたり、仰臥位で自転車を漕ぐように脚を動かしたりしました。
そうした運動をする中で、鼠径部を動かそうと意識するより、下肢を前後方向に剪断するイメージで行なうほうが上手く出来るように思いました。
そして、股関節の使い方が、手関節の使い方に反映されていることも教えて頂きました。
私は手関節を掌屈させて太極棒を握っていることがありましたが、それでは充分に股関節を動かすことが出来ず、肘や肩の力も抜けないことが分かりました。
今回の練習で、股関節の動きの重要性と、自分が出来ていないことに改めて気付いたので、これから改善していきたいと思います。

富笑い道

大抵の人がそうだと思いますが、御多分に漏れず、私も「笑うこと」が好きです。
私自身は何一つ面白いことを思い付きませんが、テレビやインターネットといったメディアを通じて、または誰かと会話をする中で、あるいは身の回りで起こる出来事によって、よく笑わせてもらっています。
何かのキッカケで笑いのツボにはまると、何を見ても何を聞いても面白く感じてしまい、笑うことを堪えることが出来ない状態になることもあります。

変声期前は声が高かったので、笑い声もよく目立ち、爆笑を我慢するのに苦労しました。
小学生の頃、学級新聞に載せるために友達が描いた「ふわぷわげ」という漫画を読んで、授業中に笑いが止まらなくなってしまい、二人して担任の先生に怒られた記憶もあります。
一旦そこまでの状態に陥ってしまうと、こんなことで怒られているという現状そのものが可笑しくて笑いがこみ上げてくるので、もはやどうすることも出来ません。
その漫画をもう見ることが出来ないのが残念ですが、抜けた鼻毛が風に乗って世界中の色々な場所に飛んでいくという他愛も無い話だったと思います。
今思えば、どこがそこまで面白かったのか分かりませんが、「笑い」とは得てしてそういうものだと思います。
今でも、ふとしたキッカケで笑い転げそうになることは時々ありますが、周りの状況を見て、それをある程度は抑えることが出来るようになったのは、良くも悪くも大人になったということでしょうか。

改めて考えてみると、「笑い」というのはつくづく不思議な感情だと思います。
「笑い」が起こるには一定の条件が整っていることが必要で、心身ともにリラックスした状態で無いと、心の底から笑うことは出来ません。
また、「笑う」という行為が、ストレスの解消や免疫力の増加といった身体への良い影響を及ぼすとも言われています。
「笑う門には福来る」ということわざには、そうした意味合いも含まれているのかも知れません。
「怒り」や「悲しみ」が起こる原因については、万人に共通するであろう事柄がある程度は思い当たりますが、大笑いするキッカケは千差万別であると思います。
他の感情に比べて、その人の考え方や今までの経験に左右される部分が大きいのでしょう。
人体における経穴の位置は大体覚えていますが、笑いのツボに関しては、一体どこにあるのか皆目見当も付きません。

私が好きな漫才のネタを文章に書き起こして紹介しても意味をなさないので、具体的に説明することは困難ですが、あえて自分の笑いのツボを分析してみると、自分が考えもしなかった状況や言葉に面白さを感じるような気がします。
だからといって、現実離れした設定や奇抜なキャラクターを求めている訳ではありません。
私が予想していた展開から絶妙なズレがある、状況の変化や言葉の選択あるいは間の空き方に遭遇したときには思わず笑っています。

日常のありふれた光景や会話の中にも、ふと視点を変えると、面白いと思えることがたくさんあります。
柔軟で弾力性があり半透明な観点の向こう側に見える滑稽な世界に目を向けながら、日々を楽しく過ごしていきたいと思っています。

交通標識

感想文28

観照塾 2010.10.02
昨日の観照塾では、太極棒を使った練習を行ないました。
始めは、太極棒を両手で縦向きに持ち、吸気時に上げて、呼気時に下ろすという練習をしました。
今まで木刀を振るときは手を下げた状態から始めることが多かったので気付きませんでしたが、振り下ろしていった結果として、雑巾を絞るような手関節の背屈が生まれることが分かりました。
また、太極棒の位置に合わせて体重移動が起こり、前に出している側の足関節の底背屈が上肢の動きに対応していることが分かりました。
そうした動作が股関節や膝関節の動きとの連動によってなされていると、どの位置で太極棒を押されても運動を続けられることが分かりました。
他にも、上下の動きや四角形を描くような動きなど、太極棒を用いた様々な運動を行ないました。
そのいずれの動作も、今まで練習してきた内容と共通する部分が多かったですが、太極棒を用いたほうが、両手の動きの関連性やその中間への意識を持ちやすくなりました。
私は今まで上肢を呼吸で上げる際に、「上に上げる」というイメージが強かったためか、吸気時に肩部や前胸部に力が入っていると指摘されることが度々ありました。
しかし、太極棒の両端を真横に伸ばすというアドバイスを頂き、むしろ胸部を横に広げるようにすることで自然に上肢が上がることが分かりました。
これから、呼吸の練習とともに、合気体操や八段錦の動きを見直していきたいと思います。

 

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