不可視技

今日は、M岡さんに手技の勉強会を開いて頂きました。
前回の呼吸法セミナーの後に行なわれた勉強会の続きとして、柔術を取り入れた施術の方法を教えて頂きました。

最初に、座っている相手の手関節を把持し、上肢から体幹の繋がりを改善させる施術を練習しました。
呼吸で相手の上肢を引き上げ、詰まったら保息した状態で相手の腕が自然に伸びる方向にずらし、再び伸ばすという動作を繰り返しました。
上手く体幹まで繋がっていると、お尻が浮くくらい身体全体を伸ばせるという施術を実演して頂きましたが、私は相手の根元から引くということがなかなか出来ず苦労しました。
それを意識しているかどうかで、最初に相手の手関節を持ったときの上肢の角度から変わってしまい、まるで別物になってしまうことが分かりました。
単に手関節を引っぱるだけだと相手の手から体幹に向けて牽引力が伝わっていくのに対して、根元から引くことが出来ると腰の辺りから手に向かって力が伝わっていくというのを見ていて面白く思いました。

それから、関節を緩める動作の逆の流れとして、柔術の技を用いながら、相手の関節を固める練習をしました。
上肢においては、手関節の掌背屈や橈尺屈を試してみて関節が固まりやすい形を探し、同様に肘関節、肩関節と順番に相手の頚部まで固めていきました。
単に固めるだけではなく、あやとりを取り合うように、関節を固められた状態から自ら抜け出し、交互に技を掛け返す練習もしました。
身体にある程度の動かせる余地があれば、無理に力で逆らおうとせずに、そこから固まらない位置に移動することによって、固め技から抜け出せることが分かりました。
可動域の制限が緩まる方向に身体を動かすと、いつの間にか立場が逆転し、自然に相手に技を掛ける体勢になっているというのは不思議な体験でした。

M岡さん、今日の勉強会も含め、今年も本当にお世話になりました。
いつも丁寧な指導で多くのことを学ばせて頂き、また、不調があるときは治療までして頂き、とても助かっています。
教えて頂いたことが身に付くよう努力していきますので、これからもよろしくお願いします。

体験記02

センタリング呼吸法セミナー 2010.12.26
昨日の「春風堂 センタリング呼吸法セミナー」では、様々な肢位での腹式呼吸法を教えて頂きました。
前回と同様にお互いの姿勢や自分の身体の状態を確認した後、寝転がって体勢を変えながら腹式呼吸の観察をしました。

仰臥位では吸気によって下腹部を膨らませ、それを腰部に広げ、さらに胸部にまで移動させるという練習をしました。
下腹部が膨らんだ状態を維持したまま、更に息を吸い骨盤を後傾方向に動かすことによって腰に吸気を入れ、より後傾させてそれを胸部まで上げていきました。
その状態に至ると、腰部の膨らみと腹側からの圧迫による力に対して接地面からの反作用が起こり、そこを支点として頭部と脚部をバランス良く上げられることが分かりました。
伏臥位では反対に、腹部の膨らみと背側からの圧迫によって、筋力を使わずに頚部や大腿部の伸展動作が行なえることが分かりました。
側臥位では上肢の位置を色々と変えて、呼吸によってどういう動きが生まれるかを観察しました。
呼吸によって、前に垂らした上肢が肩甲骨によって後方に引かれる動きと、下肢が擦れ合う動きが連動すると、以前に観照塾でも教わった寝返りの動作になりました。
手が畳の目に沿って滑っていくのを感じながら、右を向いたり左を向いたりしながらごろごろしているのは、とても気持ちの良いものでした。

私は今まで伏臥位や側臥位での腹式呼吸を意識して観察したことが無かったので、昨日の経験はとても面白いものでした。
腹部や腰部といった分類は便宜上つけられた名称に過ぎず、一回の呼吸の間にも全体が一体となって動いていることを感じることが出来ました。
来年から始まる定例会にも参加させて頂きたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

活動報告08

健康維持互助会 2010.12.26
今月の健康維持互助会の企画担当は私でした。
今年最後ということもあり、ボール、太極棒、袋竹刀、杖といった観照塾で使った様々な道具を介して合気上げを行ない、それらの間の共通点や相違点を感じることをテーマとしました。
どんな道具を介しても合気上げが掛かるという前提で企画したものの、私が行なうとやはりそう上手くはいかず、ほぼM岡さんに教えて頂く形になりました。

私が感じた共通点の一つ目として、どの道具においても自分自身の状態と一致させることが重要であると感じました。
呼吸においては、自分が息を吸ったときはボールや棒も膨らむイメージで、吐いたときは縮むイメージで行ないました。
道具を持つ手においては、形状が変わっても労宮に意識を置くことは変わらず、その動きを自分の骨盤や股関節の動きと対応させておく必要性を感じました。
二つ目として、中心を意識することの重要性を感じました。
太極棒においては棒の中央や長軸方向の中心、ボールにおいては球の中心がそれに当たり、複雑な動きであってもその点をずらさない意識が大切であることが分かりました。

相違点としては、それぞれの道具の特徴に対応していくことの必要性を感じました。
太極棒では長軸方向に伸びるイメージが膨らみやすいため直線的な動きに、ボールでは球形に広がるイメージが膨らみやすいため曲線的な動きに向いているように思いました。
同じ球形のボールでも大きさや硬さによって持ったときの感触が変わり、自分自身の身体の使い方や相手に伝わる感覚に変化が生まれることが分かりました。

後半は何も持たずに合気上げを行ない、力を抜くことの大切さを学びました。
自分の腕を持った相手に対して、力の抜け切った声を出しながら、相手にしな垂れかかるような心持ちで前に体重を移動するという練習をしました。
それが相手の力とぶつからない方向であれば、身体が一つの塊になったように、相手に大きな重みとして伝わることが分かりました。
力のぶつからない方向は、自分自身の呼吸のしやすさによって判別できることも教えて頂きました。
力がぶつかる方向で無理に前へ進もうとすると、充分に空気を吸えず窮屈な感じになり、より不利な状況に陥りました。
息を吐いて相手の力を吸い込んだあと、肋骨が膨らみやすくなりそうな方向にずらしてから息を吸うことで、楽に力が伝わることが分かりました。
呼吸に伴う全身の動きのみで前方に向かう力が生まれれば、先に述べた力が抜けた状態での「のしかかり」と同様の現象が起こりそうだと感じることが出来ました。

企画だけして丸投げする形になってしまいましたが、綺麗にまとめて頂き、私自身がとても勉強になりました。
M岡さん、そしてメンバーの皆様、ありがとうございました。

来月の健康維持互助会の企画担当はSRさんです。
何かと忙しいと思いますが、よろしくお願いします。

感想文39

観照塾 2010.12.25
昨日の観照塾では、今年最後の杖を使った稽古がありました。
杖の基本的な使い方を学んだ後、杖の向きや持ち方を変えながら、それを持った相手のバランスを崩す練習をしました。
「ロッキングチェア」で相手と繋がった状態では、杖の中心が自分の丹田と一致した状態を保つことで、緩みを取ったまま相手を動かせることが分かりました。
また、杖を持つ両手の間の中点を常に意識しておくことの大切さを教えて頂きました。
それにより、自分の右手と左手の働きのバランスが取れて、両手と杖が一体になったような感覚が生まれ、また、相手の手の内の状態を感じやすくなりました。
杖を動かすときは、杖を持つ相手の両手の間の中点を意識しながら行なうことで、相手の中心まで力が伝わることが分かりました。
そして、杖を持つ手には力を入れず、体幹の動きによって握る動作が為されると、手の皮膚が緊張せずに柔らかく持つことができ、杖を通してお互いが受ける感覚が全く異なってくることが分かりました。
購入したばかりの杖を無駄にすることの無いよう、観照塾で使用しない間も練習しておきたいと思います。



K野先生、指導してくださった先輩方、および相手をして頂いた皆様、本年は本当にありがとうございました。
「勉強」や「稽古」という言葉から想像される辛さを感じることなく、楽しく学ぶことが出来たのは、皆様のお陰だと感謝しております。
合気道や治療に関すること以外にも、多くの面での変化を感じることができ、とても充実した一年になりました。
来年も、何かとお世話になることがあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

ネタ箱 ~将棋編

私が付けているネタ帳の中から、将棋に関するネタだけを集めてみました。
単なる言葉遊びなので、これを見て気力が抜けることはあっても、棋力が上がることはありません。





感想文38

観照塾 2010.12.18
昨日の観照塾では、杖を使った技を学びました。
剣を振り上げたような姿勢になった相手の前腕に杖を当てて、そこから相手のバランスを崩す練習をしました。
息を吸うことにより接点における皮膚の緩みが取れたら、その状態を保ったまま体幹を動かすことによって、相手に大きな力が伝わることが分かりました。
そのためには、両手の労宮や小指側に意識を持ち、手関節をしっかりと決めておくと同時に、肘関節から近位は自由に動かせるようにしておく必要があることが分かりました。
それから、お互いに座位で向き合い、杖を介して相手を動かす練習をしました。
相手のバランスが崩れる方向を探すために、杖を回転させたり、上下左右に動かしたりして、そこから起こる変化を観察しました。
バランスが崩れる方向では、杖を通して感じる抵抗が軽くなるとともに相手の姿勢の変化として表れ、逆方向では相手の手の内で引っ掛かり、より重くなるような感覚がありました。
技を受ける側でも、崩される方向に力を受けると、身体が傾き安定感が減少するように感じました。
そうして見つけ出した方向を、杖では無く体幹の中心で進められるようになると、相手の抵抗を受けずに押していけることが分かりました。
鍼治療などでその感覚を活かすために、もっと繊細に変化を捉えられるように練習していきたいと思います。

一歩多彩性

私が初めて将棋を教えてもらったのは、確か五歳くらいだったと思います。
当時、父には王将と歩兵しか駒を置かないという大きなハンデキャップを付けてもらっていましたが、それでもなかなか勝つことが出来ませんでした。
私の実力が上がるにつれて父の置く駒の数が増えていき、やっと平手にまで至ったときは嬉しかったものです。

中学生の頃は、休み時間によく友達と将棋で遊んでいました。
「学校に不要物を“持って来てはいけない”」という規則があったため、校内に置いてあったダンボール紙などを素材にして自分達で将棋盤と駒を作ったことを覚えています。
最近では、実際に対局する機会はほとんどありませんが、テレビの将棋トーナメントや新聞の将棋欄が目に留まると、ついつい見てしまうことがあります。

将棋は、ルールが難しすぎず易しすぎず、誰でも気軽に楽しめるという、よく考えられたゲームだと思います。
チェスを始めとして将棋と似たようなルールのゲームは沢山ありますが、日本の将棋の最も大きな特徴は、取った駒を再び使えるという点にあります。
こうしたルールが生まれた理由として、持ち駒の使用が考え出された戦国時代では、戦争といっても国内における同民族間の争いであり、敵に対する排他的な感情が生じにくかったことが関与しているのではないかと言われています。
持ち駒は攻めにも守りにも重要な役割を果たし、その活用なくして勝つことはまず出来ません。
「歩のない将棋は負け将棋」という将棋の格言もあるように、歩兵が一つあるだけで大きく選択肢が広がり、それが勝敗を左右することも少なくありません。

私は、将棋の実力というものは、単に将棋に関する勉強や経験だけで決まるものではないような気がしています。
多くの手筋の中から一つの手を選択するという行為には、その人の性格や価値観あるいは心理状態といったものが大きく反映されており、それらを含めて将棋の実力は変化していくのだと思います。
おそらく、その逆として、将棋を通して学んだことが、気付かない内に日常における考える力として活かされているという一面もあるのでしょう。
今までの自分には考え付きもしなかった一手が指せるように、様々な経験を通じて成長していきたいと思っています。

将棋

強壮芯

今日は、健康維持互助会の忘年会があり、ゲストにK野先生をお迎えして食事に行きました。
今回のメニューは薬膳料理で、疲労回復や精力増強といった効果がある「滋養強壮コース」を食べに行きました。

「薬膳料理」という言葉から想像される、味よりも効能を優先する印象は全く無く、竜の落とし子や冬虫夏草といった珍しい食材も食べやすいように調理されており、どの料理もとても美味しいものでした。
「滋養強壮」という目的がなくても、何回も行きたいと思える素晴らしいコース料理でした。

コースのメニューとその効能に関する説明を書いた紙が置いてあり、それを参考にしながら一品ずついただきました。
私は小学生の頃に家族旅行で中国に行き、薬膳料理を食べたことがありましたが、多少なりとも漢方に関する知識を持って改めて薬膳料理を見てみると、また違った印象を持ちました。
漢方薬も、本来は「薬」という形ではなく、こうした食事の中でその働きを活かすほうが自然であるように感じました。

食事をし始めてすぐに身体が内側から温まっていることを感じ、冬の夜道にもビクともせずに家まで辿り着くことが出来ました。
これから始まる一週間を、気持ち良く迎えられそうです。
忘年会の段取りを整えて頂いたM岡さん、K元くん、各々へのお土産まで準備して頂いたK野先生、および同席された皆様、今日は楽しい時間をありがとうございました。

感想文37

観照塾 2010.12.11
今日の観照塾では、杖を使った稽古を行いました。
杖も、剣や太極棒と同様に、上肢で動かすのではなく、呼吸や骨盤の動きとの関連性を意識しておくことが重要であることが分かりました。
また、握るというよりも手で軽く支えて滑らせながら動かすことで、棒自体が伸び縮みするような独特の動きが生まれることが分かりました。
それから、お互いが半身で向き合って、杖を通して相手を押したり引いたりする練習を行ないました。
息を吸う動作が杖にも伝わると、それだけで緩みが取れて相手と繋がり、そこからさらに吸気を上方に上げることで相手を浮かすことが出来ました。
そして、吸った息を保息しながら、身体だけでなく意識も広げた状態を保ちつつ、吐いた息を細くしながら、杖を通して相手に伝えていくことが重要であることが分かりました。
上手く繋がることが出来ると、相手の身体の膨らみ方や呼吸の通っている場所までが、杖を介して伝わってくるというのは不思議な感覚でした。
今回の稽古では、動作を行なう上での「間」の重要性を学びました。
横を歩いて通り過ぎる人と杖が前方に向かうタイミングがぴったりと合うと、追い風に手伝われるようにスムーズに力が伝わるという現象はとても興味深いものでした。
日常における会話や行動においても、もっと「間」を大切にしていきたいと思いました。

対局勘

私は小さい頃から、ゲームで他人と対戦するのが好きで、家族や友人とよく遊んでいました。
囲碁、将棋、チェス、麻雀、オセロ、五目並べ、ダイヤモンドゲーム、バックギャモン、トランプ、花札など一般的に知られているゲームは大抵やったことがあります。

私は囲碁や将棋の段級を取った経験も、麻雀やオセロの公式戦に出場した記憶もないので、何の信憑性もありませんが、多くのゲームに共通する重要な要素は「効率」にあるように思います。
対戦ゲームは相手があってこそ成り立つので、自分の意思だけを押し通そうとしても、相手の邪魔をすることだけを考えていても、どちらも勝ちには結び付きません。
如何に相手の意図を妨げながら自分の目的を達成できるかという、自分と相手の両方の立場を見据えた手が「効率の良い手」といえると思います。
その「効率の良い手」が、目先の損得ではなく全体の流れを見た上で積み重ねられた場合に、最終的な勝利が確定するように思います。

「効率」を高めるものは、経験による読みや直感であったり、記憶力であったり、確率に関する知識であったり、あるいは運であったりと、それぞれのゲームによって必要とされる要素は変わってきます。
近年では人工知能が発達し、運の要素が皆無であるチェスやオセロでは、もはや人間がコンピューターに勝てないという状況にあります。
それらより遥にルールが複雑な将棋の世界でも、プロの有段者が負けるほど優秀なコンピューターの将棋ソフトが開発されてきています。
もし、将棋の勝敗が「効率」だけで決まるのであれば、数え切れないほどの手の中から最善の手筋を瞬時に検索できるコンピューターが有利になっていくのは間違いありません。
しかし将棋の世界において簡単にそうした状況にならないのは、コンピューターには「意図の読めない手」が苦手という弱点があるからだそうです。
お互いが既存の最善手を指すと仮定してコンピューターは手筋を決定しているため、予想の範囲から外れる手を指されると、途端に対応が遅れてしまうようです。

ゲームの対戦相手がコンピューターではなく、人間だからこそ、心理の読み合いという面白さが生まれます。
勝ち負けに関わらず、決められたルールの中で、相手の思考を想像しながら競い合うというのは楽しいものです。
それは、いくら科学が発達したとしても、コンピューターには代わりが出来ないことの一つかも知れません。

チェス

感想文36

観照塾 2010.12.04
昨日の観照塾では、太極棒や杖を用いた練習を行ないました。
最初は、参加者が円形に並んで、太極棒や鉄製の棒を隣から隣へと受け渡していきました。
重さや長さが異なる棒に対応するために、受け取る姿勢や呼吸の大きさなど、様々な調整が行なわれていることを感じました。
上半身の向きを変える際は、股関節や骨盤の動きによって身体を回転させ、自分自身の軸をぶらさない工夫が必要であることが分かりました。
また、今回の稽古では、「力を抜くこと」の重要性を学びました。
全身の脱力をするのではなく、身体の外側の形状を保ったまま力を抜くことで、自分自身の自由度を確保できることが分かりました。
それによって、自分の動きやすい位置や、相手を固め続ける位置へと常に対応していけることが分かりました。
相手に関節を決められた場合や、杖などの道具を用いる場合も同様で、相手にとっては持っていても「実感が無い」状態になり、力では対応できなくなってしまうことが分かりました。
これから徒手療法や鍼灸療法を行なう際にも意識していきたいと思います。

本の紹介09

老荘思想入門

『老荘思想入門』

著者 月洞譲
発行所 PHP研究所

昔の真人は、生を喜ばず、死をにくまない。
ゆったりと行き、ゆったりと来るだけだ。
始めも忘れず終わりも求めない、受けて喜び、忘れて返す。
心は道にそむかず、自然に逆らわない。
これが真人である。
そういう人は、心は全てを忘れ、ようすはもの静かで、ひたいは広い。
秋のようにきびしく、春のように暖か、喜びも怒りも、四季の自然に移り変わるよう。
外物とよく調和して、ゆきづまることがない。
~第二章 人生について


高等学校の「倫理」の授業では様々な思想や哲学を学びましたが、私が何よりも興味を持ったのは老荘思想でした。
私が理想としていた人間像や生き方に、それすら老荘思想の影響を受けていた可能性は否定できませんが、最も近かったことが老子や荘子に惹かれた理由だったと思います。
老荘思想の説話は多くの例え話を用いて分かりやすく書かれており、そこから導かれる発想の転換は単純に読み物としても面白いものです。
この本では、老荘思想を現代の情勢と照らし合わせて解説されており、現在の日本人の生活や考え方にその影響が色濃く残っていることを実感できます。
現代社会で生活を営む上で、また、煩悩が多すぎる私自身の性格上、書かれている内容の全てを実践することは現実的に困難ですが、心の片隅にはそうした境地を持てるようになりたいと思っています。

 

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