本の紹介17

考えない練習

『考えない練習』

著者 小池龍之介
発行所 小学館

考えごとが脳内にうずまいている時ほど、音の情報が入ってくる度合いが少ないはずです。いまどんな音が流れていて、それがどんな意味を持っているのか。それがわからないのは、無意識下で「考える」ことに多くのエネルギーを割いているからです。
人は、落ち着いている時には、あまりあれこれと考えません。混乱している時ほど、考える量や時間が増えてしまいます。
~第1章 思考という病


この本では、現代における様々な悩みの原因と解決方法を、仏教という視点から分かりやすく説明されています。
タイトルだけを見ると誤解しそうになりますが、「何も考えない」状態を目指すというよりは、一つの感覚に「集中する」ことによって余計な思考に振り回される状態を減らしていくといったことが勧められています。
私も生活する中で、他の全てを忘れてしまうくらい集中して物事に取り組めたときには、良い結果が生まれることが多いような気がします。
表面的な効率を優先して、実際に感じている感覚を疎かにしてしまうようなことの無いように、目の前で起きている出来事の一つ一つを大切にして毎日を過ごしていきたいと思いました。

体験記11

センタリング呼吸法セミナー 2011.08.28
今月の呼吸法セミナーでは、最初に、竹踏みを使っての身体の観察をしました。
足を置く位置、足関節の角度、体重の掛けかた等を変えて、安定感や呼吸のしやすさにどのような変化があるかを感じながら行ないました。
様々な動作を行なった後、竹踏みから下りてみると、足底の畳に付いている感覚がずっと鮮明になったように感じられました。
また、最初と比べて、片足を上げる動作も楽に行なえるようになり、安定した立位や歩行を目指す上で、足底の感覚が如何に大切であるかを学びました。

そして、竹踏みに乗りながら、鼠径部を中心とした動きによって、様々な動作を行なう練習をしました。
鼠径部の溝を深くすることで身体を折り畳んでいく動作では、骨盤の前傾を保ちつつしゃがむことが上手く出来ずに苦労しました。
身体の安定した動きを実現するためには鼠径部の働きが欠かせないことが分かり、もっと下半身を柔らかく使えるように練習していくことの必要性を感じました。

それから、仰臥位で背部に座布団を挟みながら、腹式呼吸を行ないました。
前半に竹踏みを用いて行なっていた足関節の底背屈や鼠径部の引き込みと同様の動きが、呼吸に伴って起こっていることを感じました。
そして、呼吸を行なう上で、肋骨や骨盤だけでなく、下肢の動きも大切な役割を果たしていることを感じることが出来ました。

これから、より深く大きな呼吸が行なえるように、自分自身でも工夫していきたいと思います。
M岡さん、K元くん、昨日はありがとうございました。

活動報告16

健康維持互助会 2011.08.28
今月の健康維持互助会は、私が企画担当で、職場で行なっている施術風景を紹介する形で進行しました。
まだ私は複数の関節の状態を同時に把握できる段階に至っていないため、一つ一つの関節の動きの変化に注目して手技を行なっています。
例えば、下肢であれば、股関節、膝関節、足関節、足部の関節の順に考えられる可動域を動かしてみて、その中で詰まる位置や突っ張る位置を確認しています。
そして、その位置から緩む方向に伸びていくように補助したり、固まっている部位を指圧したりして、身体全体の緊張を改善していくことを目標として行なっています。

勉強会での実技として、私も手技を施したり受けたりしている中で、これから施術を行っていく上での、多くの課題に気付かせて頂きました。
まず、関節が固まる動きを確認する際に、もっと臨界点を追求していくべきだと感じました。
関節の動きを確認する上で、まだ診れていない動作があったり、充分に可動域の端まで動かせていないことが分かりました。
そして、同じ関節の同じ動きであっても、そこから末梢の関節の固定の仕方によって様々な変化が生じるため、動きが固まっているという状態をもっと広い視点で診ていくことが大切だと感じました。
それから、伸展していくように補助する際に、繋げる深度を深めていく必要性を感じました。
私は、まだ意識の多くが動かしている関節の状態に向いていますが、頚あるいは四肢の末端まで繋げて行なえているかどうかで、全体に及ぼす影響が大きく変わってくることが分かりました。

後半の柔術研究会では、一教、二教、三教を中心に柔術の技を教えて頂き、そうした課題と大いに共通していることを感じながら学ぶことが出来ました。
梃子による固定や動作の勢いによって誤魔化さず、頚まで繋げて技を掛けきっていくことが大切であることを教えて頂きました。
また、同じ技であっても、それを受ける人によって様々な固まりかたの変化が起こりうることが分かり面白く思いました。

前半は私が企画を担当していたものの、いつの間にか私自身も参加者の一人になってしまい、勉強会の指導者として反省すべき点が多々ありました。
それを一つの形にまとめてくださったM岡さん、柔術研究会の指導をしてくださったT本さん、参加者の皆様、昨日はありがとうございました。

感想文67

観照塾 2011.08.27
昨日の観照塾では、特に、上肢と体幹との繋がりが印象に残りました。
姿勢を立位や正座位、相手の位置を前方や後方や側方、相手に把持してもらうのを両手や片手や肩部といったように、色々と条件を変えて合気上げを練習しました。
合気上げにおいて、相手の力を吸い込む動作でも、肘の使い方が重要であることを教えて頂きました。
今まで呼息や上肢の力を抜くことばかりに注目していましたが、肩や肘の力を抜いたままでも肘が止まる位置まで引いておくことで、吸い込む動作から相手を浮かす動作への切り替えを途切れずに行なうための基準を作れることが分かりました。
相手が自分に対してやや体重を預けた状態になってから、決めた肘を緩めずに動作を行なうことができると、相手を引き付けたままで浮かせられることが分かりました。
さらに、投げる場合も、落とす場合も、肘で相手に入れた状態を途切れさせることなく相手を動かすことができると、最後まで技を掛け切れることが分かりました。
そのために、手関節を尺屈背屈させることや、体幹の側面から上肢尺側に繋がる経路を通して、骨盤からの動きを指先まで伝えるといったことが必要となってくることが分かりました。
そうした繋がりを条件が変わっても活かせるように、合気体操などの身体の使い方を見直しておきたいと思います。

休憩膝

最近、私は、その時々の姿勢において、身体のどこに力が入っているかを意識するようにしています。
私の場合は、立位の姿勢では下肢後面に力が入り、膝関節が突っ張ってしまっていることがよくあります。
膝関節に力が入っていると、下肢の筋肉に疲労が溜まりやすかったり、関節に負担が掛かってしまったり、運動を行なう上では柔軟な動きが妨げられたり、反応がワンテンポ遅れてしまうといったデメリットが考えられます。
そのため、余分な力を抜こうと膝関節を軽く曲げたりしてみることはありましたが、完全に脱力してしまうと身体を支えられないために、無意識に他の部位に力が入ってしまい、なかなか上手くいきませんでした。

しかし、勉強会に参加する中で、骨盤を前傾させ、鼠径部の溝が深くなるような股関節の動きを教えて頂いていたときに、知らない間に膝関節の力も抜けていることを感じる機会がありました。
それ以来、膝関節に力が入ってしまっていると感じたときは、股関節と足関節の角度を調節し、なおかつ上半身の体重が足関節の付近に落ちるような姿勢をとるように意識しています。
そうした経験から、膝関節は、体重を支える働きよりも、股関節と足関節を繋ぎ、両間のバランスを取る働きのほうが大きいのではないかと考えるようになりました。

現在、日本では膝関節の痛みで悩んでいる方が多く、六十代になると、およそ半数以上の方が膝関節痛を経験するともいわれています。
膝関節に痛みが起こりやすい理由として、膝関節は構造上、体重によって大きな負荷が掛かってしまうことが原因の一つであるといわれています。
そのため、変形性膝関節症の予防としては、体重を支えるための下肢の筋力トレーニングや、負荷を減らすためのダイエットを勧められることが一般的です。
しかし、身体のバランスが崩れているために、本来、膝関節に掛かるであろう体重による負荷以上の負担が生じてしまうことも、膝関節に痛みが起こりやすい原因として考えられるように思います。

実際に、膝関節の痛みで来院される患者さんの中には、患側の股関節が外旋していたり、足関節の可動域が減少している方も多くおられます。
そうした理由で、膝関節の力が抜ける姿勢に至ることができず、周辺の筋肉を緊張させてしまったり、関節の変形が進行してしまったりして、痛みが生じている方もおられるように思います。
膝関節に痛みを抱えておられる患者さんを治療させて頂く上で、そうした内容も含めて治療やアドバイスをしていきたいと思っています。

海鳥

感想文66

観照塾 2011.08.20
今日の観照塾では、技の稽古を通して上肢の力を抜くことの大切さを学びました。
最初に、相手に肘関節を曲げる方向に抵抗を加えてもらい、それに逆らわずに上肢を動かす練習をしました。
力を抜いた状態であると、呼吸に伴って身体は小さな伸縮を繰り返しており、大きな吸息と上肢の広がりが一致すると、抵抗に関わらず肘関節を伸ばせることが分かりました。
それを骨盤や体幹から伝わる動きを活かして応用することができると、単に自分の関節を伸ばすだけでなく、相手を様々な方向に投げる技にもなることが分かりました。
それから、坐位で向き合い肩部を押された状態から、皮膚の緩みを取っていくことで相手のバランスを崩す練習もしました。
相手の前腕部に自分の手部尺側を置き、その重みを相手の外縁に沿ってずらして行きながら、手の形を作ることで相手の頚部まで繋げていくことが重要だと分かりました。
そして、自分の手部の重みを、接点だけでなく丹田で感じ、それを維持することを意識すると、自然に全身を使った動作となることが分かりました。
力を抜いたままで動作を行なえると、皮膚の緩みという小さな変化から相手を転ばせるまでの大きな動きに繋がっていくことに驚きました。
丹田の使い方に関しては、重要であると知りつつも曖昧にしてしまっている部分が多いので、これから動作を行なう中で特に重視していきたいと思います。

創造肢位

最近、職場や往診での施術において、「動かして行なう治療」が増えてきました。
以前は、施術前後での症状の診断や、治療の締めに軽い運動を行なっていても、治療中は、特別な状態で無ければ腹臥位と背臥位のままで施術を行なうことが中心でした。

それは、今まで私が学んできた治療法は一定の姿勢で行なうことが多かったという理由もありますが、私自身に、患者さんはじっとしていられたほうが楽であるという思い込みがあったためだと思います。
しかし、中心塾や健康維持互助会といった勉強会を通じて治療を体験させて頂く中で、緊張が緩むように動かしてもらうことの気持ち良さを知り、それによって離れた部位での症状が緩解するといったことも実感してきました。
また、長時間、同じ姿勢でじっとしていると、肢位によっては却って固まってしまうということも目の当たりにしてきました。

そのため、近頃は、四肢を動かしたり、体幹を揺らしたり、治療中にあえて何度も体位を変えて頂いたりして、その時々での動きの変化を重視するようにしています。
また、同じ体位であっても、四肢の角度や、枕の位置や高さによって、表面に現れる経絡に大きな違いがあるため、形に拘らずにそれらを工夫していくことの必要性を感じています。
身体を動かすことを意識すると、上肢や下肢の末梢にも目が行きやすくなり、それによって、主訴である体幹の症状が改善するといったことも、頻繁に経験するようになりました。

動きの観察は、診断にも大きな役割を果たしていることが分かり、身体の診かたも以前と比べて変化したように思います。
原穴や五兪穴といった東洋医学における重要な経穴は、四肢の関節の近辺に多く存在しますが、その重要性を体感を持って知ることができました。
また、十二経脈は流注としての繋がりだけでなく、手の少陰と足の少陰といった三陰三陽での対応もみると、身体の使い方と一致する部分が多く、よく考えられていることに改めて感心しています。
患者さんに日常における動作をより楽に行なって頂けるよう、もっと工夫して治療に取り組んでいきたいと思います。

真剣蝉

私の自宅では夏になると、毎朝、セミの鳴く声がよく聞こえてきます。
子供の頃は、夏休みには虫捕り網を持って公園に出掛け、虫カゴが一杯になるまでセミを捕っていました。
鳴き声を追っていくとすぐに見つかるので虫捕りにはもってこいですが、あの小さな体から周りに響き渡るほどの大きな声が出るのは不思議なことです。
セミの腹部には人間の声帯と同様の膜があり、そこを震わせて起こる音を、腹部にある袋で増幅することによって大きな鳴き声を実現しているそうです。
セミが鳴く最大の目的はメスを呼び寄せるためであり、その目的を果たすためにオスの身体は鳴き声を出すことに特化した構造になったようです。

現在、日本に生息しているセミには様々な種類があり、鳴き方にもそれぞれ特徴があります。
特にツクツクボウシの鳴き声は個性的で、あのような独特の旋律を持つようになったことを面白く思います。
日中によく鳴いているアブラゼミやクマゼミの鳴き声を聴くと、暑く日差しの強い夏らしさを感じさせられます。
反対に、夕暮れに鳴くことの多いヒグラシの声は、涼しげで、どことなく哀愁を帯びているような気がします。
そうした印象を持つ理由は、聴く側がセミの鳴き声と環境を一致させたイメージを抱いていくためなのか、それともセミの鳴き声が環境に合わせて変化してきたためなのか、私には分かりません。
皿うどんは硬い部分と柔らかい部分のどちらが美味しいかという議論と同様に、それらを切り離して考えることが不毛なのかも知れません。

セミが幼虫として地下生活する期間は数年から十数年と長く、成虫となり地上に出てからは数週間で死んでしまいます。
外で活動できる期間が短いことを可哀想だと捉える考え方もありますが、案外、セミにとっては地面の下でゆっくりと樹液を吸っている生活も心地良いのかも知れません。
地中で充分に元気を蓄えたセミたちが、きっと来年の夏も賑やかに鳴いていることでしょう。

蝉

感想文65

観照塾 2011.08.06
昨日の観照塾では、最初に、四方投げを練習しました。
私は、投げることよりも、腕を持たれてから相手を浮かせるまでの過程を中心に教えて頂きました。
相手の頚部まで繋げるためには、手を作ることで持たれた部位の圧力を均等にしつつ、指先の向きによって届く深さを調節していくことが大切だと分かりました。
相手の頚部まで繋がり、充分に浮かすことができると、後はその状態を保ったままでも移動できそうな方向を探し、横に移動すると投げる形に、前に進むと押し倒す形に、といったように意識しなくても技になることが分かりました。
それから、正座位で向き合い、相手の壇中に指先を当て、腕の力を使わずに押す練習もしました。
指尖を当てた状態から、息を吐いて力を吸い込み、息を吸って相手に入れ、さらに右回りと左回りのどちらが崩れやすそうかを調べました。
固まっていかない方向に回し、相手のバランスを中心からずらすことが出来ると、そこからは身体の中の伸びによって相手を押せることが分かりました。
全身の動きを連動させるためには、下肢の内側や上肢の尺側を通る陰経の繋がりが重要であることが分かりました。
また、相手とぶつからずに力を伝えるためには、視線の向きや意識する距離が大きく関わっていることも分かりました。
そのどれもが治療においても共通していることが分かったので、教えて頂いた内容を鍼治療を施す上でも生かしていきたいと思います。

星想見

私の実家は、周りに街明かりが存在せず、標高が高いこともあり、夜になると星がよく見えました。
子供の頃は、星座盤を持って夜空を見上げて、それがどのような星座であるのか調べていたことを覚えています。
夏になると「ペルセウス座流星群」が訪れるため、流れ星を見れる確率が高まり、お盆の直前あたりには流星に遭遇するピークを迎えます。
その時期には一時間に十個以上の流星が出現するとも言われていますが、私は首が痛くなるほど上を見上げていても、今までに三回くらいしか見たことがありません。

スペースシャトルに乗って地球の写真を撮ってくることなど想像も出来なかった時代において、夜空に浮かぶ星の存在は、今よりももっと神秘的に感じられたのでしょう。
古来より、星は、暦や方角や運勢を知るための基準として重要視されていました。
地球からは見かけ上、太陽が天球上を西から東に向かって、一年間で一周しているように見え、その通り道を黄道と言います。
その黄道が通っている十二星座の位置が、暦や季節を知るために重要な役割を果たしていました。
また、北極星は地球上のどこから見ても位置が変わらないため、北がどちらかを確かめる根拠として知られていました。
星座の名前はギリシャ神話に基づいて付けられており、現在でも誕生日に対応させた星占いなどでよく用いられています。
しかし、自分の星座は知っていても、実際の夜空において、それがどの星を指しているのか分かる方は少ないのではないかと思います。

都会に住んでいると夜中でも地上が暗闇になることが少ないため、分かりにくいですが、明るい星であればある程度は見えています。
日常生活に追われていると、ついそれが全てであるように考えてしまっていることがありますが、星を見上げていると宇宙における自分の存在の小ささを再認識することができるような気がします。
身の回りの明るさに囚われず、遠くにある小さな光にも目を向けられるような心のゆとりを持っていたいものです。

流れ星

 

Template Designed by めもらんだむ RSS
special thanks: Sky RuinsDW99 : aqua_3cpl Customized Version】