体験記16

センタリング呼吸法セミナー 2011.11.27
今月の呼吸法セミナーでは、仙骨の重要性を学びました。
畳の上で四つん這いになり、呼吸と共に、猫のように背中を丸めたり反らしたりする運動を行ないました。
仙骨の前傾によって背中を反らしたときには、仙骨によって脊椎が順に前方へ押し出されるようにして頭部まで持ち上がることが分かりました。
逆に、仙骨の後傾によって背中を丸めたときには、骨盤前面のへこみに引き込まれるように、背中が折り畳まれていくことが分かりました。
私は、脊柱が先に動いてしまったり、、仙骨を充分に動かすことが出来ず、仙骨を中心に動作を行なうことの難しさを感じました。

仙骨の動きを体感するためには、尾骨と肛門の位置関係を感じておくことが重要であることが分かりました。
肛門を締めながら骨盤を前傾できると、尾骨が後方を向き、その上にある仙骨も前方へと傾いていくことが感じられました。
仙骨が柔軟に動き、前傾が充分に行なえると、仙骨と第五腰椎がぴたっと嵌るような感覚が生まれることが分かりました。

それから、仙骨の動きによって上肢を前後に振る運動も行ないました。
仙骨の前傾が、脊柱の伸びや胸骨の起き上がりと対応し、それに従って上肢も前方へと移動することが分かりました。
ハンカチを持ちながら両手を上に上げた状態で、仙骨から起こる波が滞りなく上方へと伝わったときには、カーテンが風にはためくような自然な揺れが見られました。

M岡さん、K元くん、昨日はありがとうございました。
私が、特に苦手と感じている内容が満載でしたので、教えて頂いたことを思い出しながら練習に取り組んでいきたいと思います。

活動報告19

健康維持互助会 2011.11.27
今月の健康維持互助会では、F本さんの企画の元で、下肢の使い方を中心に学びました。
最初に、正坐位から骨盤の動きによって体幹を持ち上げる練習をしました。
呼吸や骨盤の動きに伴う体幹の締めや伸びと共に、床と接触する足背による反作用が重要であることが分かりました。
足背の張りを生み出すためには、下肢前面の収縮ではなく、骨盤の動きに伴う下肢後面から足底に至る伸びが大切だと分かりました。

それから、仙骨の感覚を明確にするために、二人一組になり、立位で仙骨を擦ってもらうという実験をしました。
仙骨を上下方向に擦ることによって生まれるリズムが身体の中で増幅されると、自然に鞠のように飛び跳ねる動きが起こることに驚きました。
いったん跳ね始めると、自分で動いているのか相手に動かされているのかが曖昧になり、どちらかが意識的に制御しない限り止まらなくなってしまう状態を面白く思いました。

その後、階段を用いての昇り降りや、畳の上での足運びを練習しながら、歩法を学びました。
体幹の重心を崩さずに足を送り出すためには、爪先で蹴るのではなく、骨盤の動きによって踵から移動することが重要であることが分かりました。
体幹は残したまま鼠径部の溝を深くしながら足を出していくことによって、同側の股関節に体重が移動していき、安定した土台が出来上がった段階になって初めて体幹を移せることが分かりました。
それから体幹の向きを変えずに、骨盤を中間位に戻すことによって、後方の脚も引き寄せられることが分かりました。

後半は、M岡さんの通っておられる竜笛の先生の下で、竜笛の体験をさせて頂きました。
最初に、雅楽全般や、竜笛に関する基本的な説明をしてくださりました。
雅楽の楽譜には音符が無く、その音に似た響きを持つ片仮名が当てられていたり、音色を単音の複合としてではなく、音と音の間に見出すところに、西洋の音楽との違いを感じました。
実際に、先生の竜笛の音色を聴かせて頂き、一本の竜笛から生まれる音色の奥行きに驚かされました。
いくつもの音色が色々な方向から聴こえてくるような響きの立体感と深さは初めて体験するもので、とても感動しました。
それから、私も竜笛をお借りして、吹かせて頂きましたが、まず音を出すということが出来ずに苦労しました。
口の形や、吹く方向や、笛の角度や、指孔の塞ぎかたなどを丁寧に指導して頂き、少しずつ安定して音が出るようになってくる過程は楽しいものでした。
そして、呼吸法や、力を抜きながら吹ける姿勢の取り方など、現在学んでいる身体の使い方との多くの共通点を感じられ、とても貴重な体験となりました。

突然の来訪にも関わらず快く受け入れてくださり、丁寧に指導してくださった竜笛の先生に深く感謝を申し上げます。
そして、このような機会を設けてくださったM岡さん、健康維持互助会での企画をしてくださったF本さん、本当にありがとうございました。

感想文80

観照塾 2011.11.26
今日の観照塾では、杖を使った稽古がありました。
最初に、片側の手を滑らせ、杖の重さを感じることに意識を置きながら、杖を振る練習をしました。
杖は回すというよりも、一方の手が滑っていく方向と、その手の内で掛かっている圧力の部位が変化することによって回転していることを感じられました。
それから、釣り竿のように構えた杖を、床に対して垂直方向に立てていく中で、相手を浮かせる技を学びました。
杖の中央に近い側の手を「引き」として支点にすることで、もう一方の手による「攻め」が相手の重心を足部前方に移す力として働き、それによって相手を釣り上げられることが分かりました。
そこから杖を長軸方向に回して相手の重心をずらすことで、相手の体重が落ちていく方向が感じられ、それに従って杖を倒していくことで相手を投げられることが分かりました。
それから、杖の両端をお互いの丹田に当て、丹田から生まれる力によって相手を押し出す練習もしました。
吸気と共に頚部まで吸い上げた力を、背部から下ろして仙骨に溜め込み、呼気と同時に一気に吐き切ることにより、前方に向かう大きな力が生まれることが分かりました。
内部で圧縮された力を外部へ送り出す骨盤の動きは、後方から前方へと骨盤の外周を辿り、足部や鼠径部の動きとしても表れていることが分かりました。
鼠径部から伝わる作用は、杖を振る動作では杖の先端に乗る重みとなり、投げる動作では相手の後方まで通る力となることが分かりました。
そうした動作を実現するためには、まだまだ骨盤の動かしかたが不充分であることが分かりましたので、改めて見直しておきたいと思います。

嗜好作語

ひょっとすると、注意深い方はすでに気付いておられるかも知れませんが、私は言葉遊びが好きです。
無限とも言える単語の組み合わせの中から、思いも寄らなかった『言葉』が見つかった時は、何とも言えず嬉しいものです。
音か文字のいずれかが近ければ、思い浮かぶいくつもの候補の中から、作り手が想定したであろう別の意図を想起できるということを面白く思います。

日本語に限らず、一つの言語が広く使われるようになるまでには、長い年月が経過する中で、多くの『言葉』が生まれては消え、ルールが作り変えられてきたのでしょう。
ともすれば、世の中に存在する全ての物には「名前」が付いており、身の回りで起きた出来事において『言葉』で表現できないことは無いようにさえ考えてしまいがちです。
しかし、よく考えてみると、現在使われている『言葉』で言い表せない物や出来事においては、その存在自体が一般的に認識されていないと捉えるほうが自然であるとも言えます。
もしかすると、実際には、未だに『言葉』が追いついていない事物のほうが沢山あるのかも知れません。

私が高校生の頃、どの単元を教わっていたときであったかは忘れましたが、数学も言語の一種であるように感じた瞬間に、数学に対する捉えかたが大きく変わったことを覚えています。
例えば、一次元から二次元に数字の世界を広げようとするとき、「2乗すると1になる数字」や「2乗すると4になる数字」の解ならそれまでに存在した『言葉』で表現できますが、「2乗すると3になる数字」を表そうとすれば、新たな表現方法を考え出す必要性が生じます。
よって、√3という数字は、最初からそれ自体が意味を持って存在していたわけでは無く、新しく生まれた概念を表現するために作られた『言葉』であると解釈することも出来ます。
三角関数や微分積分においても、教科書上ではあたかも最初からそういう世界が存在するかのように記述されていますが、そうした『言葉』が作られてきた背景を想像しながら学ぶことは楽しいものでした。

数学が言語だとすると、それを基礎として成立している科学を一種の言語だと捉えることも出来ます。
だとすれば、新しい『言葉』が産み出され、古い『言葉』が忘れ去られ、その言語が作り変えられていく過程を「科学の進歩」と呼ぶのかも知れません。
そして、言語である以上はきっと、そのルールの中においても、切り貼りしたり、並べ替えたり、ひっくり返したりして遊ぶだけの余地が残されているのでしょう。
身の回りに溢れる『言葉』を取り除いた後も、なおも残っているであろう「何か」を見つめられる目を養っていきたいと考えています。

石垣

感想文79

観照塾 2011.11.19
昨日の観照塾では、杖を使った稽古がありました。
杖の表面を擦ることから始め、呼吸との関連、骨盤の動きとの連動、太極棒との違いなどを確認しながら杖の使い方を復習しました。
杖の長さと、把持している手を滑らせることも出来るという特徴により、身体の伸びや、骨盤の動きが動作全体に大きく反映されていることが感じられました。
また、振り降ろす動作のみならず、回したり傾けたりする動作においても、常に手の内で杖の重さの偏りに伴う圧力の変化を感じておくことが、股関節の動きと一致させるために重要であることが分かりました。
杖の反対側を持つ相手を転ばせる練習においては、相手が変化を感じられないくらいそっと持ち、その軸をぶらさずに、杖を長軸方向に回転させて緩みを取ることが重要だと分かりました。
杖を動かす際には、相手に近い前方の手で支点を作っておくことによって、後方の手による小さな動きが大きな力となり相手に伝わることが分かりました。
そうして、相手の手の内の緩みと、相手の姿勢の変化によって生じる緩みの両方を取り続けることが出来ると、結果的に相手を転ばせられることが分かりました。
今回学んだことを生かしながら、改めて杖を振る練習に取り組んでいきたいと思います。

冬季備

今年の秋は暖かい日が続いていましたが、このところ冷たい風が吹くようになり、冬が近付いていることを感じられます。
急に気温が下がる時期には、身体を冷やしてしまうために、体調を崩してしまうことが多くあります。

寒くなると、体温を維持するために大量のエネルギーを必要とするので、食料が不足しがちな冬季では冬眠をする動物もいます。
冬眠を始める前には、食物を多く摂取し、脂肪を蓄えておくことによって、冬眠している間に必要なエネルギーを確保します。
また、寒さによって体温を奪われないようにするために、秋になると毛が抜け変わり、長く、密度の高い冬毛に生え変わる動物もいます。
冬眠中は、心拍数や体温が大きく低下し、代謝は極限まで抑えられ、仮死状態になります。
そうした状態におかれても、なおも生命を維持できる機構については、未だによく分かっていない部分も多くあるようです。

幸か不幸かヒトは冬眠をする必要がありませんが、冬に備えてエネルギーを蓄えるという生理現象は、ヒトにおいても存在します。
一年中、食料に困ることなく、衣服や暖房器具の発達により冬でも快適な気温で生活することが可能となった現代においても、そうした現象は決して無関係ではありません。
気温の低下に伴い、熱を逃がさないために皮膚表面の血管の収縮や体内の血管の拡張が起きたり、体温を生成するために代謝の上昇が起こります。
そして、それに必要なエネルギーを冬に備えて蓄えておくために、秋には皮下脂肪を増加させる作用が促進されます。
きっと「食欲の秋」という言葉も、単に、秋が旬の食材が多いために食が進みやすいという意味だけではないのでしょう。
そうした時期に、エネルギーを発散しすぎると、身体には大きな負担が掛かり、冬季を健康で過ごすことが困難となります。

秋に土中で生長する里芋と同じように、知らず知らずのうちに私達の身体も冬に向けての準備をしてくれています。
身体にもともと備わっている生理作用に追い越されてしまうことのないように、気候の変化への対応を疎かにしないよう心掛けていたいものです。

ドングリ

感想文78

観照塾 2011.11.12
昨日の観照塾では、太極棒を用いた稽古がありました。
「太極棒のメニュー」を一通り行なった後、立位で仙骨部を壁に付けた姿勢や、仰臥位で寝転んだ姿勢で動作を行ない、骨盤の動きだけで太極棒がどのように動いているかを観察しました。
そうした観察をする中で、また、相手に負荷を掛けてもらうことで、私が行なっている動作の中には、余計な動きが多分に含まれていることを感じました。
私が行なっていた骨盤の動きは、腰椎の代償が加わっており、さらに、前方への「攻め」よりも反対側の後方への「引き」が中心であったことが分かりました。
そのため、相手からの力を腰椎下部で受けてしまい、呼吸が詰まりやすくなり、体勢を立て直すのが困難になってしまっていたことが分かりました。
それを回避するためには、相手に両腕を持たれる瞬間から、相手の体重を鼠径部の溝を深くしていくことで股間節前面で受けておくことが重要だということを教えて頂きました。
それによって相手の体重が、自分自身の土台が安定する方向に掛かり、そこから鼠径部と肘窩の方向を一致させて攻めることで相手に向かって力を返せることが分かりました。
上肢の力が抜けていると、鼠径部で相手の頚へと向かう方向を意識するだけで、骨盤の動きに伴う波を次々と伝えていけることも分かりました。
これから、骨盤の動きと鼠径部の関係性に注目しながら、練習に取り組んでいきたいと思います。

学習内容08

中心塾 2011.11.13
昨日の中心塾では、身体を緩めておくことの大切さを学びました。
最初に、手の使い方に注目しながら、木刀を持ったときや、椅坐位の相手の肩をほぐすときの身体の状態を観察しました。
それから椅子に座り、両手の組み方を変えながら、呼吸と同調させて上肢を上げたり下ろしたりしたときに、どのような違いが生じるかを観察しました。
手関節を決めながらも手部を締めていったり、上肢のどの経絡を通して体幹に繋げていくかを調節したり、吸気に伴う上肢の広がりと体幹の締めを両立させたりするために、手の組み方を工夫しながら運動することの大切さを学びました。
体幹の骨格を締めながら組んだ両手を前上方に向かって上げていくと、どこを緊張させることも無く身体を伸ばすことができ、「折れない腕」が実現できることを知りました。
四指が内側に入るような形で手指を交互に組み合わせる姿勢では、運動をすることで指同士の挟み込みがきつくなり、最初は基節部あたりに強い痛みを感じました。
しかし、組んだ手を外してみると、それぞれの手指に感覚が行き渡り、柔らかく動かせるようになったことを実感できました。

改めて木刀を持ってみると、目の前に地面と垂直に立てた姿勢から手部が決まっていく方向に下ろしていくことで、自然に正眼の構えの位置で止まることを感じられました。
椅坐位で行なう治療においても、手部が相手の肩部を掴もうとしなくても、手指がぴったりと合うように感じられました。
そして、手を一定の位置で止めるためには、それ以外の部分を静止させて固めてしまうのではなく、呼吸や姿勢の変化の中で常にバランスを取り続けていくことが大切だと分かりました。
それが出来て初めて相手の内部の変化が感じられるようになり、骨盤の動きによってそれに付いていけるようになることが分かりました。

昨日のセミナーを通して、治療や武術に臨む以前の、自分自身の身体の状態を整えておくことの大切さを改めて感じました。
何より、身体が緩んでいることを実感でき、その後の時間を楽に過ごすことが出来ました。
K野先生、昨日も本当にありがとうございました。

立考補瀉

最近、私は『精神』と『肉体』の繋がりについて考えることがあります。
合気道の稽古などを通して、身体の使い方を教えて頂く中で、自分自身の身体の各部位に対する「意識」の分布には、大きなバラつきがあることを感じています。
「意識」の強い部位は、普段からそこを主力に身体を動かしているため負担が掛かってしまい、張りや凝りが生まれたり、その状態を続けると痛みとして感じたりすることがあります。
その反対に、「意識」が弱く、普段ほとんど使えていない部位は、積極的に「意識」を向けてやらないと働いていないことがよくあります。
中には全く「意識」出来ていない部位もあり、何らかのキッカケで「意識」が通ると、その後は他の部位と同様に動かすことが出来るようになることを体験してきました。

今まで出来なかった動きを行なえるようになったり、感じられなかった感覚が生じたりする経験は、何事においても有り得ますが、その都度、新たに何らかの組織が形成されていくとは考えられないため、そうした現象は『肉体』ではなく『精神』の変化の結果として起こると言えます。
そして、それは脳を拠り所とする『精神』のみを指すのではなく、新しい「意識」が生まれた部位に存在する『精神』が関係しているような気がします。
極端な例として、事故や病気が原因で四肢のいずれかを失ってしまった場合に起こる「幻肢痛」が考えられます。
実際には存在しないはずの四肢に対して痛みを感じるという症状を指し、末梢から脳に向かって痛みを伝える神経が存在しなければ解剖的な繋がりは見出せないため、現代医学では原因不明であるとされています。
しかし、『精神』と『肉体』が一致することで身体が形作られているとするなら、そうした現象は、それほど不可解なことではないのかも知れません。

そうした仮定を東洋医学の視点から見ると、「意識」が全身の隅々まで過不足無く行き渡っている状態が、滞りなく気が巡っている状態と言えるのかも知れません。
そして、「意識が不足している部位」が「虚」で、「意識が過剰になっている部位」が「実」だと捉えることも出来るように思います。
「部位」という表現は、特定の経穴という局所としても、いずれかの絡脈といった流れとしても、あるいは身体全体の体調としても当てはまるように思います。
だとすれば、受け手と『精神』を同調させることによって、「意識が不足している部位」に「意識」を足す治療が補法となり、「意識が過剰になっている部位」から「意識」を抜く治療が瀉法ということになります。
「虚中の実」や「実中の虚」と言われるように、「意識が不足している部位」の中にも「実」が存在したり、「意識が過剰になっている部位」の中にも「虚」が存在したりするため、単純に二通りに分けることは出来ないのでしょう。
『肉体』に現れている症状だけではなく、受け手の『精神』に存在する「意識」に目を向けながら、治療に取り組んでいきたいと考えています。

イチョウ

感想文77

観照塾 2011.11.05
昨日の観照塾では、相手を投げる技を太極棒の動作と関連付けて教えて頂きました。
「一教」の流れで腕を掴んでこようとする相手を投げたり、振り下ろされる手刀を受けてそのまま相手を転ばせる練習をしました。
いずれも手の作り方で、相手の手部を挟んだときに芯が生まれたり、尺骨で受けたときに前腕の回内が起こり、それによって相手に「入れる」ことが出来ると分かりました。
向きを変えて相手の横に移動するためには、自分自身の軸を崩さずに移動すると共に、手を相手を巻き込んでいく方向に働かせることで付け続けておく工夫が重要であるように感じました。
それから、「六方円」や「砂時計」の動作をすることで、相手を投げる技を練習しました。
骨盤の動きや片側の股関節の寄せと対応して太極棒が動き、中点を保ったまま回転させることが出来ると、繋がりを切らさずに相手のバランスを崩せることが分かりました。
相手を浮かせた後は、肋骨は締めたまま鎖骨だけを緩めることで、接点の位置を下げること無く、上肢が自由に動く余裕が生まれることが分かりました。
その状態で、手から動かず骨盤の動きに手が付いていくように動作を行なえると、太極棒が回転する方向や落下する方向に従って相手を投げられることが分かりました。
原理は全て同じだということは以前から教えて頂いていましたが、想像していた以上に太極棒の動きが技そのものであることに驚きました。
相手に腕を持たれていても同様の動きが実現できるよう、太極棒の練習をしておきたいと思います。

本の紹介19

モモ

『モモ』

著者 ミヒャエル・エンデ
訳者 大島かおり
発行所 岩波書店

小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこの点でモモは、それこそほかには例のないすばらしい才能をもっていたのです。
~一章 大きな都会と小さな少女


ほぼ副題を言い換えるだけになりますが、この本の内容は、「時間貯蓄銀行」を運営する「灰色の男たち」から人々が盗まれてしまった時間を取り返すために旅立つ、モモという少女の活躍を描いたファンタジーです。
子供の頃は、「時間」の不思議な捉えかたや、「灰色の男たち」の不気味さに引き込まれ、ひとつの冒険活劇として楽しんでいましたが、いま読んでみても感じるところの多い作品です。
『「灰色の男たち」が生まれる条件は人間が作り出してきた』という表現は、現代社会における様々な問題に当てはめることができ、それらを解決するためには特別な能力や技術が必要ではないことが示されています。
世の中で、無駄だとされていることがどれほど大切で、有益だとされていることがどれだけ空虚かを改めて考えさせてくれる一冊です。

 

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