芯めとり

私は、子供の頃、自分用の手鏡をいくつか持っていました。
自分の顔を見るために使うことは滅多に無く、角度を変えて覗き込んだり、二枚を向き合わせたり、光を反射させたりと、鏡の特徴を楽しみながら色々と遊んでいました。
鏡を見ながら、なぜ上下はそのままで、左右が反対に映って見えるのかを不思議に思っていた時期があります。
いま考えてみれば、映っている対象の左右が逆になっている訳ではなく、鏡面を対称面として、前後が入れ替わっていると言うことが理解できます。

鏡に映った自分と写真に写った自分が同じでないことからも分かるように、身体は完全な左右対称ではありません。
普段行なっている振る舞いにおいて偏りが強い場合には、より著明な左右差が生じることもあります。
さらに、内臓においては、左右の肺の大きさから、心臓の位置や形から、胃腸の走行に至るまで、対称な部分はほとんど見当たりません。
けれども、私達は、得手不得手こそあれ、それほど左右の差と言うことを意識していなくても、様々な動作を行なえています。
一芸に秀でた方々の身のこなしを拝見する中で、あるいは自分自身の動きを見直しながら、身体における対称性と非対称性が、どのようにして両立されているのかという疑問が、以前から頭の片隅にありました。

身体の正中に目を向けてみると、背部には脊柱が通り、その前方を咽喉が走っています。
体幹の中央を通る経路を感じながら呼吸をするとき、あたかも咽喉へと通じる筒が腹部から繋がっているような感覚を覚えます。
それを全方向に均等に締められる姿勢では、吸い上げと共に前後への揺れが生じ、呼気時には頭部まで浮かせた重みが下っていく様子が観察できます。
そうした意識と呼吸が同調して働く通り道は、正中のみならず側方にも存在し、股関節や上肢帯の動きとも密接な関連があることを感じられます。
それらの力の伝わりが左右で一致するように近付けていくことで、両側のバランスを整ってくることを実感できます。
また、その内のいずれかの軸を基準として身勢を取ることで、角度が変化しても、意識や力の向かう方向を合わせていけることを感じています。

仮に、身体が左右対称であれば、釣り合う位置は一点しかありませんが、そうした軸の働きによって、身体の内部も良い位置に納まり、全身のバランスを取り続けられるのではないかと考えています。
腹診を行なうと、腹部の形状や柔らかさや温度や質感にはバラつきがあり、それらが整う方向に向かうと身体の症状が改善することを経験します。
施術を行なう上で、そうした軸が通る位置に導いていくと言うことと、繋がる方向を辿っていくと言うことが、同義であることが分かってきました。
誘導する向きによって、中央に集まる方向と離れる方向があり、集まった状態が途切れないように導いていけると、姿勢も変化していくことを感じています。
鏡に映らない場所にも目を移しながら、身体の観察を深めていきたいと思います。

元伊勢内宮

 

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