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一歩多彩性

私が初めて将棋を教えてもらったのは、確か五歳くらいだったと思います。
当時、父には王将と歩兵しか駒を置かないという大きなハンデキャップを付けてもらっていましたが、それでもなかなか勝つことが出来ませんでした。
私の実力が上がるにつれて父の置く駒の数が増えていき、やっと平手にまで至ったときは嬉しかったものです。

中学生の頃は、休み時間によく友達と将棋で遊んでいました。
「学校に不要物を“持って来てはいけない”」という規則があったため、校内に置いてあったダンボール紙などを素材にして自分達で将棋盤と駒を作ったことを覚えています。
最近では、実際に対局する機会はほとんどありませんが、テレビの将棋トーナメントや新聞の将棋欄が目に留まると、ついつい見てしまうことがあります。

将棋は、ルールが難しすぎず易しすぎず、誰でも気軽に楽しめるという、よく考えられたゲームだと思います。
チェスを始めとして将棋と似たようなルールのゲームは沢山ありますが、日本の将棋の最も大きな特徴は、取った駒を再び使えるという点にあります。
こうしたルールが生まれた理由として、持ち駒の使用が考え出された戦国時代では、戦争といっても国内における同民族間の争いであり、敵に対する排他的な感情が生じにくかったことが関与しているのではないかと言われています。
持ち駒は攻めにも守りにも重要な役割を果たし、その活用なくして勝つことはまず出来ません。
「歩のない将棋は負け将棋」という将棋の格言もあるように、歩兵が一つあるだけで大きく選択肢が広がり、それが勝敗を左右することも少なくありません。

私は、将棋の実力というものは、単に将棋に関する勉強や経験だけで決まるものではないような気がしています。
多くの手筋の中から一つの手を選択するという行為には、その人の性格や価値観あるいは心理状態といったものが大きく反映されており、それらを含めて将棋の実力は変化していくのだと思います。
おそらく、その逆として、将棋を通して学んだことが、気付かない内に日常における考える力として活かされているという一面もあるのでしょう。
今までの自分には考え付きもしなかった一手が指せるように、様々な経験を通じて成長していきたいと思っています。

将棋

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