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嗜好作語

ひょっとすると、注意深い方はすでに気付いておられるかも知れませんが、私は言葉遊びが好きです。
無限とも言える単語の組み合わせの中から、思いも寄らなかった『言葉』が見つかった時は、何とも言えず嬉しいものです。
音か文字のいずれかが近ければ、思い浮かぶいくつもの候補の中から、作り手が想定したであろう別の意図を想起できるということを面白く思います。

日本語に限らず、一つの言語が広く使われるようになるまでには、長い年月が経過する中で、多くの『言葉』が生まれては消え、ルールが作り変えられてきたのでしょう。
ともすれば、世の中に存在する全ての物には「名前」が付いており、身の回りで起きた出来事において『言葉』で表現できないことは無いようにさえ考えてしまいがちです。
しかし、よく考えてみると、現在使われている『言葉』で言い表せない物や出来事においては、その存在自体が一般的に認識されていないと捉えるほうが自然であるとも言えます。
もしかすると、実際には、未だに『言葉』が追いついていない事物のほうが沢山あるのかも知れません。

私が高校生の頃、どの単元を教わっていたときであったかは忘れましたが、数学も言語の一種であるように感じた瞬間に、数学に対する捉えかたが大きく変わったことを覚えています。
例えば、一次元から二次元に数字の世界を広げようとするとき、「2乗すると1になる数字」や「2乗すると4になる数字」の解ならそれまでに存在した『言葉』で表現できますが、「2乗すると3になる数字」を表そうとすれば、新たな表現方法を考え出す必要性が生じます。
よって、√3という数字は、最初からそれ自体が意味を持って存在していたわけでは無く、新しく生まれた概念を表現するために作られた『言葉』であると解釈することも出来ます。
三角関数や微分積分においても、教科書上ではあたかも最初からそういう世界が存在するかのように記述されていますが、そうした『言葉』が作られてきた背景を想像しながら学ぶことは楽しいものでした。

数学が言語だとすると、それを基礎として成立している科学を一種の言語だと捉えることも出来ます。
だとすれば、新しい『言葉』が産み出され、古い『言葉』が忘れ去られ、その言語が作り変えられていく過程を「科学の進歩」と呼ぶのかも知れません。
そして、言語である以上はきっと、そのルールの中においても、切り貼りしたり、並べ替えたり、ひっくり返したりして遊ぶだけの余地が残されているのでしょう。
身の回りに溢れる『言葉』を取り除いた後も、なおも残っているであろう「何か」を見つめられる目を養っていきたいと考えています。

石垣

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