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意図電話

私は、日曜日の午前中に自宅に居るときは、NHKで放送されている将棋トーナメントを観ることがあります。
対局前の、「日曜日のひとときを、最後までごゆっくりお楽しみください」という解説者の台詞を聞いているときが、安らぎを感じる瞬間の一つだったりします。

以前は、ゲームとしての局面の移り変わりを楽しんで観ていましたが、最近は、その裏に流れている対局者同士の対話に面白味を感じるようになってきました。
最初は、お互いに同じ力を持った駒が同じように配置されていますが、そこから変化する全ての手には、指し手の意志が反映されていることを感じます。
また、それを受け取る側が、どれだけ深く先の変化が読めているか、対局の流れを掴めているかによって、同じ一手でも見え方が全く異なっていることを面白く感じます。
「よく手が見える」というのは、「どれだけ相手の『声』が聴こえているか」ということと一致しているのでは無いかと想像したりします。
ハイレベルな対局ほど、一手一手の指し手が、はっきりとした会話になっていることを面白く思います。
私は全く将棋が強くないので、聴き取れないやり取りも多くありますが、解説者の説明やその後の展開によって、そうした会話の内容を間接的に知ることが出来ます。
本来、その境地に達している者どうしにしか聴こえないであろう対話を垣間見れることを、とても楽しく思います。

私は中高生の頃、国語のテストにおける読解問題には、『なぜ解答が存在するのか』を不思議に思っていた時期があります。
小説や論文を読んだあとに、「作者の考えを述べなさい」や「空欄に入る語句を答えなさい」といった設問がなされているテストをよく見かけますが、自分自身はいったい何を根拠にそうした問題を解いているのかを疑問に感じていました。
「作者の考え」は色々な受け止めかたが可能な場合もあり、「入る語句」は必ずしも一つの言葉とは限りませんが、「なぜその設問が作成されたのか」という問題を製作した人の意図を汲むことで、そのテストにおける正解が導き出されるのだと考えるようになっていました。

糸の太さや長さは変化しても、そういった目に見えないやり取りは、日常のあらゆるコミュニケーションにおいて見受けられるように思います。
同じ表現であったとしても、状況やタイミングや発信者によって、伝わる内容が多様に変化することを興味深く感じます。
そして、表面上に表れている対話から、常にその背後に存在している意思を受け取れるようにしておくことの大切さを実感しています。
これまで感じられていなかった『声』もしっかりと聴き取れるように、もっと自分自身を磨いていきたいと考えています。

笹舟

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