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迷路迂回系

私は、だまし絵やトリックアートと言われる目の錯覚を利用した作品を観るのが好きです。
色や長さが実際と違って見えたり、平面に描かれた絵が立体に見えたり、視点を変えると全く違ったものに見えたり、現実には存在し得ない構造がありそうに見えたりすることを面白く思います。
ヒトの視覚は、目の前の世界をそのまま見ているのではなく、脳で補正された結果を「見た」と認識しているため、そうした錯視が起こるとされています。

私達は、社会生活を営む中で、誰かあるいは自らが作ったルールに囲まれて生活しており、気付かない内に、その枠の中で物事を解釈してしまっていることが有ります。
そうした錯覚に影響を受けながら、考え方や、心身の状態や、生活のリズムが形成されていくと考えることも出来ます。
自身にとってプラスになっているルールもあれば、マイナスになっているルールもあり、それらが知らない間に、自分自身の通り道を遮る壁となってしまっている場合があることを感じます。
そして、そのことに気付いた途端に、急に視界が開け、発想が広がり、選択肢が増えることを、たびたび体験します。

先日、日本で生まれ育ち、現在はカナダに移住して生活されている方と、お話しする機会がありました。
その方の、ご自身で好きなように自宅を改装され、家具もそれに合うように作られたという話を、感心しながら聴いていました。
それ自体は誰にでも出来ることではありませんが、いつの間にか、誰かに建ててもらった住居や、工場で作られた家具から選ぶことが当たり前になっていた自分自身に気付き、ハッとしました。
中高生の頃には、学校の授業で作った、机の上に置く本立てであったり、小物を整理する棚であったりを、自宅で使っていたことを思い出したりしました。
その方には、それが普通なのだと思いますが、私にとっては、ものの価値とは何であるかを改めて考え直す機会となり、少し視野が広がった気がしました。

そうやって、誰かと話したり、本を読んだり、映画を観たり、旅行に出掛けたりして、様々な価値観に触れる中で、自分自身の常識が当たり前とは限らないことを、しばしば経験します。
そして、その都度、自分自身の立っている位置を見直していくことの大切さを感じています。
錯覚したまま進んでいくのと、錯覚であることに気付いた上で選択するのとでは、たとえ同じ通り道を選んだとしても大きな違いがあるように思います。
行き止まりと思い込んで行き詰まることの無いように、錯覚を楽しみながら行き続けたいと思います。

安野光雅

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