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中心蔵

最近、「自然」と「不自然」の違いについて考えることがあります。
同じ種類の植物でも、形はそれぞれで異なっていますが、自然そのままの姿は、そのどれもが自然に見えます。
それは、「形」からではなく、自身や周りの環境に逆らわない「働き」によって起こるからではないかと考えたりします。
そして、自分自身を省みると、色々な事象に逆らって、不自然になってしまっていることを感じます。
重力に逆らって持ち上げていたり、思ったことと違うことをしていたり、余計なところで思考したりと、様々な無理を掛けていることを考えたりします。

呼吸を観察していると、空気の出入りと同調して、身体の内部を締める力や弛める力が働いていることを感じます。
中央へ向かって締める力を全方向から均等に高めていくと、中心に伸びが起こり、軸の感覚が生まれることを感じられます。
その感覚は、必ずしも直線だけではなく、脊柱全体の湾曲や骨盤の回旋によって、曲線になったり螺旋になったりします。
その軸を保ったまま動作をするためには、一方向ではなく、相対する方向へ力の流れを行き来させることの大切さを感じています。
体幹の中央を下肢の内側と繋げて、一側は上向きに、他側は下向きに伸ばすと、身体を左右に回旋する力が生じます。
左右の経路を同時に伸ばし、身体の前面と後面で反対方向に行き来させると、前後に傾ける動きが生まれます。
それらの働きを立体的に組み合わせることで、どの方向に丹田を回しても、体幹の軸を保ったまま四肢の動きを連動して伝えられることを感じています。
そうして感じている場所が、解剖学上では何に当たるのかは分かりませんが、「形」としてではなく、生きている身体にしか存在しない「働き」というものあるのではないかと考えています。
骨や筋といった物理的な組織ではなく、軸の感覚に任せておくことで、周りの力を抜いていけることを感じています。

自分の身体のバランスをみるとき、どこかを動かして変えようとすることがよくありましたが、脱力によって起こる変化の大きさを感じています。
持っているものや、置いているところに手が沿えば、自然に手首が決まっていることを感じる機会がありました。
足は、立っていると床からの力を受け、坂道では地面の傾斜に合わせ、施術ベッドに片膝を乗せると足の重みで下肢後面が伸びたりと、そのときの状況によって繋がる角度に落ち着くことを感じています。
また、頭の重みに合わせて後頚部の力を抜くと、顎を引く方向にバランスが傾き、首の後ろが伸びていることを体験しました。
手を落とせると肋骨が上がり、頭を落とせると背骨が伸び、脱力して重みを下方へ下ろした分だけ、浮いてくる力が生まれることを感じています。
その状態で、如何に上肢の力を抜いたまま手を動かすかということを目標に、動作を観察しています。

そうした働きに目を向け、自身が脱力できているときには、鍼先の力も抜けて、施術によって導かれる身体の変化が、以前よりも繊細に感じられるようになってきました。
表裏の経絡が平になるポジションと、相手の中心に軸が生まれる肢位は一致し、その感覚が消えないように付けておくことの大切さを感じています。
これまでは入れた状態から弛んでくるまでを待つように意識していましたが、変化したバランスによる重みを丹田で受けて待っているだけで、受動的に入っていく感覚を得られるようになりました。
その時々で、入っていく深さや弛んでいく長さは変わり、自分の吸気の臨界と呼気の臨界をそれぞれ合わせられると、身体の向かう方向と呼吸の切り替わるタイミングが一致していることを感じられます。
身体に備わった働きを高めるという視点から治療をみると、どのような症状であっても、方針がぶれたり、手技を使い分けたりする必要なく、施術を行なえることを実感しています。

日々の中で、意識しながら身体の使い方を変え、意識しなくても呼吸と統合して行なえるようになったときに初めて、身に付くのではないかと考えています。
それは、意識を変えることで、心身の働きが高まる方向へ自分を誘導することと同じなのかも知れません。
呼吸の力を自然に活かせる身体に近付けるよう、誘導を積み重ねていきたいと思っています。

ススキ

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