HOME>雑談

仮名縛り

私が文章を読んだり書いたりするとき、言語表現は、すでに存在する「言葉」というピースを使って行なうパズルであるように感じます。
文章を書くときは必ず最初にテーマを決めてから書き始めるように、その数え切れないほどのピースを組み合わせて一つの形にするためには、何らかの縛りが必要になります。

その縛りの分かりやすい形として、例えば、短歌や俳句といった定型詩では字数の制限が設けられています。
短歌は五・七・五・七・七、俳句は五・七・五のリズムで詠まれますが、それによって自由な表現が妨げられるかというと、必ずしもそうとは限りません。
「好きなように絵を描いて」と急に言われると、何を描こうか迷ってしまうように、適度な制限があったほうが発想が浮かびやすいということは往々にして有ります。
「自由の女神」が台座の上に大人しく立っているのと同様に、自由とは一定の制限の中でこそ成り立つものなのでしょう。
七五調というのは単に字数に制限を加えるだけではなく、詠んだときのリズム感も優れており、非常によく考えられた形式であると思います。

私が紹介するまでもありませんが、言葉遊びとして、いつ見ても完成度の高さに感心するのは「いろは歌」です。

色は匂へど 散りぬるを (いろはにほへと ちりぬるを)
我が世誰ぞ 常ならむ (わかよたれそ つねならむ)
有為の奥山 今日越えて (うゐのおくやま けふこえて)
浅き夢見じ 酔ひもせず (あさきゆめみし ゑひもせす)


全ての仮名を過不足なく一度づつ使用し、それを七五調に整え、しかも普遍性さえ感じられる内容になっているというのは驚異的であると思います。
「いろは歌」自体は小さい頃から耳にして知っていましたが、仮名の羅列としてしか捉えていなかったので、その意味を初めて知ったときは心底驚きました。
不自然な表現が数箇所含まれていることが指摘されていますが、それを考慮しても、言葉遊びの世界において、銀杏が食べられることを最初に発見した人に匹敵する偉業であると思います。
私も高校生の時に、同じ条件で違う内容の歌が作れないか挑戦したことがありますが、半分も行かないうちに挫折しました。
五十音それぞれの使われる頻度には大きなばらつきがあるため、使用頻度の高い音を一度しか使わずに意味のある文章を構成するという作業は想像以上に困難でした。

「いろは歌」のように、五十音全てを並び替えて隠された文章を見つけ出そうとすると非常に難易度が高くなりますが、自分自身で何らかの縛りを決めて言葉で遊ぶことは面白いものです。
易しすぎず難しすぎない適度な制限を設け、それをすり抜ける解答が見つかったときには、「私が知っている言葉」の中にも、まだまだ「私が知らない言葉」が隠れていることを感じ、嬉しく思います。
たとえ仕事中であっても、良いアイデアを思い付いたらメモをしておきたいという衝動に駆られるので、それが良いことなのかはよく分かりません。
社会生活に支障を来たさない範囲の密かな楽しみとして、これからも言葉の中に潜む深遠を覗いていたいと思っています。

この記事のトラックバックURL

http://0kantenkiti0.blog76.fc2.com/tb.php/88-7ee2dc1a

コメント

コメントする

管理者にだけ表示を許可する

 

Template Designed by めもらんだむ RSS
special thanks: Sky RuinsDW99 : aqua_3cpl Customized Version】